フィーバー税理士 寝る前に夢見ること

【寝る前に夢見ること】

 

何となく・・・ではあるが、最近の自分自身は変化してきているように感じる。

 

目にするもの、耳にするもの、そういった情報のとらえ方が以前と違ってきていると確実に感じる。

 

客観的に見てもそれは俺自身の見識が変化してきたことの表れであり、成長している証であろうと確信している。

 

もちろんそれは東さんの影響であることは言うまでもない。

 

その影響はリツとの関係にも及び、俺はリツの良き相談相手になっているようで、あいつの悩みや苦しみが手に取るようにわかるし、それを理解することができるという自信のようなものも感じるのだ。

 

パチンコ生活にも変化を感じた。

 

それは、以前よりも出る台の見極めに自信が付き、それがことごとく正解するので、ますます自分の理論や千里眼に自信を持つようになっていく・・・これこそが正の連鎖である。

もちろん手にする戦勝金は以前に増して格段に増えていったので、自分の足で確実に人生を歩んでいるという実感があった。

 

(こんな気持ち生まれて一度も味わったことがないかもしれない・・・)

 

30歳を前にしてパチンコ生活など、世間一般から見れば、なんて自堕落な人間なのか、と咎められそうだが、俺は一向に気にならない。

 

着実に自分の納得のいく人生を歩んでいるという実感は、世間体や一般常識といったものをはねのけるほど威力のあるものだ。何より昔の同期の仲間よりも経済面でも豊かだし、組織の一員ではなく独立しているという面でも優っているのだ。

 

心に余裕があると何事にも泰然自若な状態でいることができる。

 

これまでの俺はコップ程度の人間だった。

 

コップ程度の器であれば、そこに赤い絵具を落としただけで色がついてしまう・・・

しかし今の俺はコップからバスタブくらいにはなったのだと思う。

赤い絵の具で一瞬、染まるもののその影響はあくまでも一瞬だけだ。

 

そういう意味では東さんはやはり海の器だろう。

年商80億の会社を経営し、その後借金を20億も作って、さらに2度の自殺未遂も経験したにもかかわらず、あれだけの笑顔と風格を出すことができるのだから。

 

俺もいずれは東さんのようになりたい・・・

 

漠然とだけど、そんな人生の目標ができ、その見本となる人物が身近にいることが何よりもうれしかったし、その偶然に感謝したい気持ちにあふれていた。



そんな俺も、一人眠りにつくときなど考えることがある。

 

(今の生活に不自由はないが、果たしてこのままでいいのだろうか?俺には何かやるべきことがほかにないだろうか?何か人の役に立てないか?もっと何か人と関わることができないだろうか?そしてもっと社会に貢献する方法はないだろうか?)

 

かつて大学に入ったばかりのころ、軽音サークルでやった路上ライブのことを思い出しながらそんなことを思い浮かべる。

 

(人間コンプレックスだった俺が、初めて人前で披露する快感を感じたのがあのときだったなぁ・・・あの経験が今の俺があるのかもしれない)

 

あの時はライブ演奏以外にも、弾き語りやサークルの友達とイベントでコントをしたり、その時はその瞬間瞬間を楽しんで、今を生きているという感じだった。

 

それこそが大学生の醍醐味であり、大学生しか味わえない『生きている実感』というやつだった。

 

それが会社に入り社会人となると、組織という巨大な生き物に人格と魂と自由を奪われ、いつの間にかただの操り人形になっていた。

 

いや、操られたのであればまだいい方だ。

俺はその組織でさえも操ることができないほど、出来の悪い人形だったのだ。

 

でも今はそれが良かったと思う。

 

あのままあの会社にいたら、俺は最悪、父のように自殺をしていたかもしれない。

ノルマに追われる日々、人格を否定すらされた過去、理不尽な要求、朝令暮改・・・

 

自分を殺して安定と引き換えに人生を会社に捧げるか、それともリスクを冒してでも自分の足で歩む納得のいく人生を歩むか・・・

 

(迷わず俺は後者を選ぶ!)

 

心の中で叫んだはずなのに、あまりの内なる大声に俺は眠気を飛ばしてしまったようだ。

 

その日の晩はいつまでたっても眠気を誘うことができなかった。



【スランプ】

 

パチプロと言っても自称である。

 

でもよく考えてみれば、パチプロになるためのテストや認定試験があるわけではないので、要はその期間にパチンコで稼いで生活出来ているという状況であれば誰でもパチプロなのだ。

 

そんなパチプロだって常に勝ち続けているわけではない。

 

不正行為は論外として、俺のように正々堂々と確率論をベースとした『正統派パチプロ』からすれば、当たり前のことだが百パーセントの勝率なんてありえない。

 

不調が続くとその流れはある一定の潮流と期間をもたらし、そうなると精神的にもかなりのダメージを被ることになる。

 

今回訪れた不調はこれまでに経験したことがないほど、長く、そして深かった。

 

「は~~~~」

 

負けが続くとこのため息が自然と出てしまう。

 

自分でもため息はさらなる不幸を呼び寄せるような気がするものの止めることができない。

 

しかもそんな時に限って、隣の客があきれるほどドル箱をタワーのように重ねているの見ると、羨ましさやを通り越して辛い。

 

今日も朝一番から並んで、目指す台を確保することができ、午前中何箱か出たものの、午後になるとそれもすべて呑まれ、挙句には何枚もの萬券が俺の財布から去っていった。

 

あきらめて台をチェンジしてもツキには恵まれず、しかも離れた台が別の客の時に大当たりをしている様子を目にすると、もう何もかもが信じられなくなり自暴自棄になってしまう。

 

かつて人生に失望し、生きることの意味を見失っていた頃の感覚がよみがえってくる。

 

(結局、俺は何をやってもダメなのか・・・)

 

有り難いことに東さんやリツは、最近忙しいとみえて、会うこともなければ二人ともメールも来ない。

 

こんな惨めな姿は当分見せられないし、きっと今の俺は悲惨な顔つきになっているに違いないことだろうから、二人からの途絶えた連絡はかえって俺にとっては救いだった。

 

夕方を待たずに俺は席を立ち、正面玄関に向かってシマとシマの間をとぼとぼと歩き退散を決めた。

 

出入り口に一番近いシマの端にある角台にはガチ盛りのドル箱が、これでもかというくらい積みあがっている。

 

その台は昨日俺が大負けした『牙狼』だ!

 

40代くらいの女性がプレイしていたが、その後ろ姿は明らかに余裕がありリラックスしているのがわかる。

 

(くそっ・・・悔しい!)

 

自分がした心の中の舌打ちを聞いて、余計にいやな気分になり、一刻も早くこの場から去りたい気分に拍車をかけた。

 

アパートへ帰りながら、頭の中には様々な考えが渦巻き、いろいろな声が交差する。

 

この際パチプロなんて辞めた方がいいんじゃないか?

もう一度ちゃんと就職して安定な生活をするべきだ。

そうすれば世間体だっていいし、大手を振って外を歩けるし・・・

どうせまた明日パチンコをしたって負けるに決まっているんだから・・・

そもそもこのままだったら貯を切り崩していくジリ貧生活になってしまう。

 

そんな俺の声はあくまで正当であり常識的に聞こえてくる。

その一方で、もう一人の自分が割り込んでくる。

 

いやいや、俺って実はパチンコの才能あるんだぜ!

これまでだってちゃんと生活できたて来たんだし、ここで辞めるなんてもったいない。

昔からゲームも得意だったし数字にも強い、そして記憶力と勘が鋭いんだからまさに本当のパチプロ向きじゃないか!

それにさぁ、ここで辞めたら東さんとの関係、どうすんの?

 

(そうだよなぁ・・・)

 

胃が裏返りそうな感覚は、帰路に就く俺の足を重くし表情を険しくしていく。

 

(東さんか・・・)

 

それ以上の思考が進まず、気が付けば俺は家の前にいた。

そうやって帰ってきたのか、自分でもその記憶が全く飛んでいる。

 

途中コンビニで買ったであろう菓子パンとヨーグルトドリンクのはいった袋にはきちんとレシートもあることから、ちゃんとお金を支払ったことが確認できてホッとする。

 

(これが今日の晩飯なんだなぁ)

 

いつの間にか購入したのか、その記憶もないほど俺を苦しませる現状は、何を俺に伝えようとしているのか?

何を学ばせようとしているのか?

そして俺にどうさせようというのか?

 

その答えを早急に見つけなければならない。



その日の夜、俺は久しぶりに東さんにLINEを送った。

 

はち切れそうな苦しさを誰かに吐露したい気持ちに押されたからだ。

 

リツの顔も浮かんだが、リツに相談したらあいつの性格上、自分のことのように一緒になって悩み苦しませてしまうことになりかねない。リツよりも人生経験が長く苦い過去を経験した東さんの方が、この俺を受け止めてくれるだろうと思う。

 

『夜分遅く、お疲れのところすみません。

お恥ずかしい話なのですが、最近なかなか思い通りに事が進まず、何もかも投げ出したくなる衝動に駆られています。

誰かにこの気持ちを話さないと爆発してしまいそうで・・・

いい大人が甘えているとお思いでしょうが、こんなことは東さんにしか相談できる人がいなくて・・・本当に申し訳ないです』

 

送信し終わった直後、こんなつまらないことを東さんに相談したことを後悔したがもう遅い。LINEのメールはしばらくして『既読』になった。

 

東さんが今自分のしたためたメールを読んでいると思うと、顔から火が出るほど恥ずかしく、そして自分のしたことを悔やんだ。

 

はぁー

 

大きく息を吐いてみたが、それさえも億劫に感じる。

 

ほどなくしてメールの着信音が鳴った。

 

恐る恐るスマホを覗くと「明日、時間あるだろう?駅前のロータリーで11時に会おう」と短い文章の返信が届いた。

 

それを見た俺は、何故かスマホを握りしめて泣き崩れてしまった。



約束の11時よりかなり早めに到着した俺は、駅前のロータリーをグルグル何周も歩いた。

 

時間を気にしながらタクシーを待つビジネスマン、

到着したバスから杖をついてしんどそうに降りる老人、

誰彼構わず声をかけながらティッシュを配るおじさん、

聞いている人がいなくても熱弁をふるう街頭演説の地元議員、

 

円形のロータリーは何周してもこの光景は変わらない。

 

10時50分を過ぎたころに、真っ白い一台のアウディが滑り込んできた。

 

その車は決して派手ではないものの、日本車にはないどっしりとした存在感と気品を湛えた風格は静かに無言の主張をしている。

 

「お待たせ~!」

 

東さんが助手席のウインドウを開け、運転席から身を乗り出して叫びながら手招きをしている。

 

俺はドアに手を触れていいのか一瞬迷っていると、中から東さんが助手席にドアを開けてくれた。

 

「乗れよ」

 

軽快な東さんの声は、それまでよどんでいた俺の心をリセットしてくれるかのように響く。

 

「お忙しいところありがとうございます」

 

ゆったりとした本革のシートも白で一色で統一されているインテリアは、一点の曇りもない東さんのそのものを象徴しているようだ。

 

「いい車ですね」

 

俺は気まずい気持ちをかき消そうと、何とか会話を別の方向に向けようとした。

 

「これかぁ、アウディA7っていうやつなんだけど、乗り心地いいだろう」

 

死んだ父親が昔乗っていたメルセデスと同じドイツ車だということくらいは知っていたが、その佇まいといいインテリアといい、このA7が高級車であるということは、車にそれほど詳しくない俺でもすぐにわかる。

 

「ソファーに座っているようです。乗った瞬間、別世界に入ったような感じです」

 

「おぉ、いい表現だね!川上君を乗せて正解だったよ!」

 

東さんは、ステアリングを握りながらとても嬉しそうに答えた。

 

「さぁて、どうしたって?じっくりと話を聞かせてもらおうじゃないか!社長の俺が付き合ってやるんだからそれなりに面白い話じゃないと困るぜ!」

 

「す、すみません」

 

敢えておどけていることがわかっていても、それに同調もできずただ謝るしかできない。

 

「なぁに辛気臭い顔してるんだよ!冗談さ、ジョーダン。俺は今日はオフでちょうど暇を持て余していたところだから大丈夫」

 

豪快に笑う東さんは、次の瞬間アクセルを踏み込むと、それにこたえるようにアウディA7は心地よい音を響かせながら一気に加速する。

 

その感覚は、本当に別世界へ俺を誘うかのようだった。



アウディA7は全くストレスを感じさせない余裕の走りで、高速道路を優雅、かつ軽快に走っていく。

走馬灯のように視界が流れていくアウディの姿は、まるで疾走する白馬のようだ。

 

東さんはあれから一切言葉を発しない。

黙って前を向いてハンドルを握っている。

 

最新式のナビゲーションから、かろうじて山間部の方へ向かっているであろうことが推測できたが、それでもどこへ向かっているのかわからない。

 

インターチェンジを降りてしばらく走ると、小高い丘の上でアウディは止まった。

 

東さんが降りて行ったので俺も慌ててついていく。

 

振り返るとアウディが「いってらっしゃい」と言っているような顔で俺を見ていた。

 

東さんがじっと立って遠くを見つめている。

その先を見ると街があってその奥にはさっき通ってきた高速道路が見える。

 

昼間の街は、小高いこの位置から見るとはるか遠い位置にあるのに、そこが息づいて活動していることがわかる。

 

何も言わずそれを見つめる東さんの横に並んで、俺もその光景を眺めていた。

 

どのくらい経ったのだろうか・・・ポケットに両手を突っ込んだままじっとたたずみ黙って遠くの街を見つめていた東さんが、おもむろに声を発したのは。

 

「この景色を見ると思い出すんだよ・・・」

 

「・・・」

 

どう返事をしていいのかわからない。

 

「以前俺が自殺未遂をしたことがあるってこと話しただろう?」

 

「あ、はいっ」

 

「死んですべてを終わりにしようと思っていたんだけど死ねなかった俺は、そのあとここに来たんだ」

 

「えっ!」

 

「そしてこの場所のこの位置でこの景色をずっと眺めていたんだ。そのとき思ったんだよ。

街が生きて活動しているのに、何で俺は死のうとしたのかってね。死ぬことは怖くはなかったし、その時はむしろちょっとした憧れのような魅力を感じていたんだ。死は生の先に誰にでもあるものだからね。でも今の命を存分に活かしてもいないのにその先に進んでしまって果たしていいのだろうか?って疑問がわいてきたんだよ、この景色を見ていたらね」

 

その気持ちは俺にはよくわかった。

例えが適切ではないが、ゲームのレベルをクリアしないと次へ進めないことと同じだなぁと思っていた。

そのステージをクリアして初めて次のステップに進める、それが楽しいし達成感があるのだ。

 

「死って考え方によっては、簡単であり身近なものなんだよ。でもそれに駒を進めるには今をクリアしていなければだめだと思う。死へと進んでいい資格をちゃんと得てからでないとね。でも死っていうのは自分の意思とは関係なく突然訪れることもある。だからこそ毎日を、そして今この瞬間を存分に楽しんで生きていることを味わっておかないといけないということに気が付いたんだ」

 

「そうですね、、、」

 

深すぎる話についていけなくて、そうと答えるのがやっとだった俺は、今日なんで東さんと会っているのかがわからなくなってきた。

 

「なんか、自分ってあまりにもちっぽけだなぁって思えてきました」

 

「うん?」

 

東さんがこちらを向いた。

 

「実は俺、最近パチンコが勝てなくなってしまって、それがきっかけでどんどん荒んでいく自分がいたんです。それをどこかで食い止めようとしていたのですが、その方法もわからず、ただもがいていたんです。誰か助けを求めているというよりも、この気持ちを知ってもらいたいという願望があって・・・そんなことを受け止めてくれるのは東さんしか思い浮かばなくって・・・ほんとすみません。ここに来て自分がいかにちっぽけな存在かってことがよくわかりました」

 

「それは違うな。人間に大きい小さいなんてないんだ。その人がそのことで悩んでいればそれは百パーセントのことだし、それは人によって様々なことであって当然だよ。でもそこに今を生きているかどうかってことを決意できるかどうかなんだ。

だから勝ち負けなんて関係ない、その人が今を存分に生きているかどうかであって、他と比較したって意味がないんだよ」

 

「負けて悔しくて・・・隣の人が勝っているとその人に対して反感を抱くようになってしまって・・・そんな自分に嫌気が指していたんです。本当は。でも勝てない自分がいることも事実ですし、どんどんを自信がなくなっていって、そのうち今の生き方に問題があるからやめろってことなのだろうか?とか、またサラリーマンに戻って安定した生活をすべきという啓示なのだろうか?とか考えちゃって・・・」

 

一気にしゃべった俺は、呼吸することも忘れていたためか、それともこみあげてくる感情のせいか、目頭が少し熱くなっているのを感じた。



東さんは相槌をするでもなく、返事をするでもなく、ただただ黙って俺の話を聞いている。

 

「人と比較しても何の意味もないということを知るべきだな。前に言ったかもしれないけど人間ってのは愚かな動物で、すぐに他人と優劣をつけたがる。それは自分を認めてもらいたいというエゴであり、自己承認欲求というつまらないプライドなんだ。それをバネに成果を出す人もいるけど、それって他人の目が原動力になっているだけなので、本来の自分の姿じゃないし、自分の内側から湧き出てきた活力じゃないんだ。だから長続きしないし、続いたとしてもどこかで失うものもが必ずある」

 

「じゃぁどうすればいいんでしょうか?」

 

「簡単さ、楽しめばいいんだよ。楽しんでやっていれば他人と比較することなんてないし、他人のことなんて気にならないだろう、つまり自分自身で楽しいからそれをやる、ただそれだけのことさ」

 

東さんの言葉を一語一句、噛みしめるように反芻していく。

 

「人それぞれ顔が違うように、他人と比較することなんて全く意味がないんだよ。一人は一人だということを人類が過去の歴史から行っていたら、争いもなく今とは全く違う世界を築き上げていたはずだ。今からでも遅くないし1人でも多くの人がこのことに気が付けばいいのさ。そうすれば他人と比べるのではなく助け合うという行為に自然となってく・・・」

 

「昨日ホールで帰り際に大勝ちしている人を見て自分は妬みました」

 

「そのとき心の中で『おめでとう、楽しんでね』と言えばいいんだよ」

 

「そうですね・・・できるかなぁ」

 

「できるかなぁではなくて、意識してするんだよ、意識してね」

 

「わかりますけど、それを続けていればその先には自然に言うようになっている自分がいるんですか?」

 

初めて俺は東さんに盾突いたような、強い言い方をしてしまった。

 

一瞬口元を緩めてニヤッとしたような表情を浮かべた東さんは、一呼吸してからこういった。

 

「負けが続き、自分の思い通りにならなくて疑心暗鬼になる。そして自分の今の状態を変えるべきかとなって迷ってしまう、まぁ当然と言えば当然だね。でもそこに自分を信じるという信念があるかどうかだよ。自分自身を信じた上での変更ならいい、しかし自分を信じず周囲の目や意見、常識とかこうあるべきといった観念に振り回されて右往左往するのであればそれはナンセンスだ。川上君は今自分を信じられているかい?」

 

ズバリ確信をついた質問をされた。

俺が陥っている状況を一言で言い表せば、まさしく「自分を信じることができなくなってしまっている」ということなのだ。

 

それまでモヤモヤよした表現できない複雑な感情が、東さんの口から最も適した言葉が飛び出してきたのだ。

 

「そうなんです、それなんです!俺は自分が信じられなくなっているんです!」

 

半狂乱のような悲壮感漂う声になってしまったが、もうここまできたら恥も外聞もない。

俺は堰を切ったように思いが噴出していった。



「東さん、俺パチンコって楽しいんでいるときは好きになれるし、勝てるんです。勝てるから好きでいられるのかもしれませんけど・・・でも負けると悔しくて辛くて避けたくなってしまうのって、どうしてなんでしょう?自分を信じていないからなのは確かにその通りです。自分なりの必勝法ってのがありますし・・・でもそれも負けが込むと自信なくしちゃうし、その方法も間違っているのではと勘ぐってしまうんです。自分を信じるってのがどうしてもわからないんです!」

 

懇願するように叫ぶ俺は、もはやいつもの俺ではない。

答えが知りたい、ただそれだけで俺は叫んでいる。

 

「じゃぁ川上君はなぜ俺にそんなことを聞くんだい?なぜ俺にそんな質問を投げかねるんだい?」

 

「なぜって・・・東さんなら答えを知っていると思うし教えてくれると思っているからです」

 

「それだよ、それ!」

 

「えぇ???」

 

「川上君は俺がその答えをきっと知っていると信じているから尋ねるんだろう、それが信じるってことだよ」

 

「はぁ~」

 

「いいかい、俺は確かに君よりも多くの経験をしてきたし見聞きもしてきた。経験ということでいえば俺の方が上だから君の疑問にも答えられるものを持っているという客観的事実からそう思っているのだと思う。君だってこれまでパチンコで勝ってきたし、会社を辞めてからもそれで生活してきたという事実があるじゃないか。何故それをこれからもできると信じないの?君は出来るだろうと未来系で言ってるんじゃない。出来てきたんだから今後もできるはずだよ、という実績という過去形の事実に基づいているじゃないか!それは誰にも変えることの出来ない事実だろう、そうじゃないかい?」

 

「そうですねぇ・・・」

 

「じゃぁなぜそれを信じない?パチンコをやるのが好きなんだろう?パチプロ生活が楽しいんだろう?好き・楽しいという事実をどこまでも貫いて追求して行けばいいだけのことなんだよ。難しいことじゃない、誰でもできることなんだ。小さな子供を見ていればそれはわかる。子供は好きなことに何時間でも夢中になって没頭して楽しんでいるだろう、それが遊びであってもその遊びを通じて、そこから成長という果実を受け取っているんだよ。子供だからはっきりとした意識はないかもしれないけど、そこには自分を信じて疑わないから好きな事に集中できるし、今を楽しめるんだよ」

 

「はい、そうですね、そうだと思います。自分もそんなときがありました!」

 

「現代人は大人になるにつれ、子供のころの純粋な心がみんな失われてしまうんだ。本当はこうしたい、これが好き、という思いがあるのに、それを一般常識という大衆心理に侵食されて自分らしさを失ってしまう。気が付けば自分の本心とは違う方向に進んでいて、抜け出せなくなってしまう。それに気が付いたときはもうすでに遅く、がんじがらめになっているという始末さ。だからみんな病気になってしまうんだ。もっと前から自分らしくその瞬間瞬間を生きてくることができていれば、病気になることも、がんじがらめになることもなかったんだよ。川上君はそれにもう気が付き始めているじゃないか!もっと自分を信じろよ」

 

「そうですね、そうします。なんだかすっきりしました」

 

そう言った俺は心の中ではもう一つ別のことを言っていた。

 

(自分が好きなことをして楽しむ人生にする、絶対にそうしよう!)

 

「じゃぁランチでも食いに行くか‼腹減ったなぁ」と東さんが答えてくれる。

 

この間合いが俺は好きだ!

そして心から嬉しいと思う。



振り返ると真っ白のアウディA7が俺たち二人を見つめて「お帰り、話は済んだようだね」と言ってやさしく微笑みかけている。

 

オーナーのことを常に見守っていて、それでいて自己主張しない、アウディは実に奥ゆかしくて頼もしいいパートナーだと思う。

 

そしてこの車、とても表情が豊かだと俺は思った。



【花咲く舞台】

 

時計の針は間もなく午後の1時を指そうとしている・・・

 

居酒屋の店内は、夜と違ってランチタイム営業のためアルコールなしで食事をしている人たちばかりだ。

 

「お待たせしました!」

 

威勢のいい声で女の店員が、泡をジョッキから垂らしながら頼んだビールを運んできた。

 

どうやらアルコールを頼んだ客は、我々だけらしく、周囲の視線をちょっと感じる。

 

かんぱ~い!!

 

そう言うと周囲の目も気にせずビールジョッキを右手に持ち、一気に麦の香りを流し込んだ。

 

この店は俺が大学を卒業後、希望の就職先に行けずやむなく入った人材派遣会社でリツと出会い、二人でよく飲みに行った思い出の居酒屋だ。

 

決まってカウンターに座り、二人で語り合ったあの時は、もうかなり前のことにに感じる。

 

(会社を辞めた日、リツと二人で慰労会をしたのもここだったなぁ)

 

そんな想いを巡らせながら、今目の前にいる二人の顔を眺める。

 

東さんとリツだ。

 

あれかあもう3年ほど経ったのだと思いつつ、時間の経過が早く感じられるのはその期間が充実していたからだと何かの本で読んだことがある。

 

相変わらず俺はパチンコ生活を続けているが、何とかやってきているということはそれなりの成果をあがているということだ。

 

そしてあのあとリツも、俺に倣って人材派遣会社を辞めた。

彼は父親がスポーツ用品店を営んでいるが、長男が後を継ぐ予定で、リツはそのお店との相乗効果を発揮できる事業をしたいと漠然と考えているようだ。

 

とは言ってもいきなりメシが食えるわけでもない。しばらくは俺からパチンコを教わり最低限の生活費を稼ぎながら、事業とパチンコとの2足のわらじを履くそうだ。

 

俺ほどの眼力はまだないが、それでも十分に生活が成り立っているところを見ると、俺よりも成長が早いと言える。いや、俺の教え方やノウハウが良いのだろう!!!

 

俺とリツ、二人のパチプロコンビは、パチンコ以外でもコンビを組んだ。

 

「今日は夜に出番があるんだったよな?」

 

東さんが俺とリツの顔を交互に見比べながら質問をする。

 

「はい、18時から結婚式2次会の余興です」

 

リツがすかさず答える。

 

「でも新婦さんの友達として出るんですけどねぇ」

 

俺が少々おどけて付け加えると、東さんは嬉しそうな笑顔で頷く。

 

最近はこうして三人で集まることが結構多い。

東さんも今日はオフなのでビールが飲めることがうれしいそうだ。



俺と東さんとリツの3人がこの居酒屋で集うのはもう何度目だろうか?

 

俺はリツが半パチプロになって間もなく、東さんに彼を紹介した。

 

それ以来、何かと三人で話すようになり、いつしかリツも東さんを人生の師と仰ぐようになっていった。

 

リツが東さんを師を仰ぐのなら、俺は東さんをメンターとして崇めよう、そんなことを以前言って三人で大笑いした時、東さんがポツンと一言、こんなことを言った。

 

「君ら二人は波長が合っている、二人で漫才でもやればいいコンビニなるぞ、きっと」

 

以前、東さんの何気ないこの一言が、俺の心に、そしてリツの心を動かした。

 

二人の心に響いた東さんの言葉は、行動力として見事に変換され、瞬く間にことを進めていった。

 

ろくなネタもないくせに結婚式の余興やパーティーの司会進行役で俺たちは、「パンジー」というコンビ名で人前に立ち、ちょっとしたお小遣い稼ぎをするようになっていったのだ。

 

人を笑わせる快感と、人とつながっている実感は、俺にもう一つの人生の場を与えてくれるようになった。

 

でも俺に、いやリツにとっても漫才は、生活のためでもお金のためでもない。

 

俺たち二人にとっての漫才とは、自己実現をするための場であり、波長と息があっていることを実証する手段であり表現なのだ。

 

事実、俺たちは綿密なネタの打ち合わせなどほとんどせず、大まかな話の構成を確認するだけで、後はぶっつけ本番でうまくいってきた。

 

東さんが見抜いていた通り、俺たちは実に波長があったからこそ、ろくに稽古もせずぶっつけ本番でも笑いが取れたのだと思う。



今日は午前中、俺とリツはいつものよう開店と同時にパチンコを打ち、二人とも負けた後、東さんと合流して、夜の舞台までの間こうして昼間からビールを飲んでいるのだ。

 

最近、パチンコで負けても楽しく感じられるようになった俺は、そんな時に飲むビールでうまく感じられるようになってきた。

 

(俺も一応、成長はしているようだな)

 

ちょっとした安堵と満足感を味わいながらジョッキを一気にあけた。



その日の2次会は、新婦側の友人という立場で、知り合いが何人かいるからやりやすいと言える。全く知り合いがいない場で余興したもののダダスベリした時は、苦い経験というよりも一周回って笑うしかなかった事を今でも忘れない。

 

出番と言っても10分位だし60人ほどなので、ステージから見渡せば来客の一人一人の表情が鮮明にわかる。

 

今日は俺たちのほかに、新郎側の大学サークルの友人も余興をするらしい。

 

新郎は早稲田大学の体育会系を卒業したらしく、恰幅も良いし愛想も良い。ステキな男性に見初められたものだと新婦を関心しつつ、新郎側の来客テーブルに目を向けた。

 

新郎の友達であろう面々は、垢抜けておりスーツも決まっていて、ノリも良く子気味に踊っていたり女性の腰に手を回して話し合っていたりした。

(どんな余興をするのだろう。俺たちはスベって彼らはウケたらカッコ悪いな~)

 

俺は少し臆してしまったが、リツはあまり気に止めていない様子で、「新郎新婦の控室へ行こうぜ!」と声をかけてきた。俺はこの場から離れたい気持ちもあったので、すぐに頷き場所を離れた。

 

コンコン

 

俺がノックをすると、中からハイ!という元気な声が聞こえてくる。

 

「失礼します」

 

俺とリツは声をそろえてドアを開けると、リラックスした新郎と、結った髪が気になるのか、一瞥してすぐに鏡に向き直す新婦が見えた。

 

「よう!パンジーちゃん!」

 

新郎が手をあげてにっこりと笑い、それに続いて新婦も「今日はよろしく~」と普段より高いキーで声をあげた。ただ顔は鏡越しの髪を見たままだ。

 

ドアを後ろの手で絞めたリツは、俺の横に立って二人に深々とお辞儀をする。

 

「本日はおめでとうございます!一生懸命盛り上げて2人を祝うので、よろしくお願いいたします(^^♪」

 

俺たち二人は深々とお辞儀をした。礼儀礼節を重んじる俺たちなので、お辞儀の深さと長さに新郎が驚いた様子で

 

「ちょちょ、何を言うてるんですか。こちらこそ本当に宜しくお願い致します」

ほぼ初対面なのに先ほど「よう!パンジーちゃん!」と気さくに声をかけたのが気まずくなったのか、座っていた新郎がそそくさと立ち上がった。

 

これまで何度となく結婚式披露宴や2次会で余興や司会進行をしたが、この新郎新婦へのきちんとした挨拶や対応で、次の余興の依頼を頂いたりとなっていることにほぼ間違いない。

 

事実、悪夢のようなダダスベリした余興でさえ、その後の対応で後日司会進行のお仕事をもらったのだ!

 

「本音を言うとね、正直僕たち新郎新婦側からしても余興や人前で話すことに慣れている人にお願いした方が超心強いんだよね。ほら、たまにあるでしょ!?ダサい余興とかって。サプライズで何かされたとしても、ダサかったら驚かないじゃん!それから思ったら、お金を払ってでもパンジーのお二人に頼んだ方がイイんですよ!」

新郎の聞きなれない標準語が鼻に触ったが、僕たちはそんなことはどうでもいいのだ。

 

「僕たちに声掛けしてもらって、ありがたいです!本当にありがとうございます!」

 

いったん顔をあげたが、俺とリツは再び深く頭を下げ、自分の足元とにらめっこする。

 

「そんなにかしこまらんといてやー。この後もきっちりとお願いねー!そしてウチらの事を、これからもよろしくお願いします。今日も思いっきり盛り上げて楽しんでくださいね~」

 

新婦の少しズレた発言は、天然というのか、それとも別の意図があるのか・・・ということを考えてしまう俺だが、通例となっている挨拶が終わって控室を出ると、舞台とは違う緊張感が一挙に襲ってきた。

 

「そうだな、楽しもうぜ!」

 

リツのことばは俺の緊張をほぐすのに最高の効き目を持っていることを知っている。

 

「よっしゃぁー!じゃぁ今日も楽しもうっか!」

 

そういって二人で背伸びをした。




小さな2次会会場にはそれぞれの面持ちで新郎新婦の友人がひしめき合うように座っている。

 

その姿は明らかに「新郎新婦をお祝いしよう」という準備が整っているのが、傍から見て良くわかる。一方で結婚式2次会では付き物の、酒席ではあるものの周りとの距離を図っていたり出会いを求め物色している面々もいるようだ。

 

余興って一体何をするんだろ?

話で盛り上がっているから、余興やビンゴゲームはいらないんだよ!

 

参加者から様々な思いがヒシヒシと伝わってくる、この瞬間が緊張でもあるが、興奮もするし快感でもある。

 

司会者の話しの後、ゆっくりと赤いどん帳が左右に引かれて、ステージ中央にはスポットライトを浴びた一本のスタンドマイクが立っている。

 

どん帳が開かれると、観客の表情が一斉に良く見えるようになるのが舞台裏から見ているとよくわかる。

 

いよいよ始まる舞台に、誰もがワクワクする瞬間だ。

 

(買ってきたばかりのCDをセットして、スピーカーから流れ出る最初の音を聞く瞬間のワクワクと一緒だ)

 

そんなことを思い浮かべながら俺とリツはステージ中央に向かっていくのだ。



自分たちの持ち時間であるステージは、あっという間に終わってしまう。

 

はじめてステージに立った時は、緊張で何をしゃべったのか、きちんとできたのか、そんなことさえも記憶しておらず、客観的な判断も出来ないありさまだったが、最近はこなれてきたのか、本番中でも観客の反応を観察することが出来るようになった。

 

今日の余興はそこそこの手ごたえがあった。

 

客層も比較的関西の方が多いということも功を奏したのかもしれないが、ほとんどの人が表情を緩めてくれた。

次の日の朝早くに新郎新婦の連名でお礼のLINEが長文で来たが、いわゆるコピペではなく、俺がボケた「ケースバイ・ケースバイ」という九州弁ギャクを交えて書かれていたこともその証だ。

 

俺たちのステージは、良くあるようなツッコミ役がボケ役の頭をたたいたりド突いたりということはやらない。

 

これは俺たち二人のポリシーのようなものであり、パンジーの特徴だ。

 

漫才ではそれが当たり前のように行われているが、俺もリツもその行為があまり好きではない。

 

相手を馬鹿にし、卑下しているように感じてしまうことで、人間の優劣をつけているような行為に見えてしまうため、俺たちパンジーでは一切やらないということが自然の公約となっていた。

 

だから俺たちのステージは漫才というよりは、完全なお笑いであり、アクションもほとんどなく淡々と二人が言葉で掛け合うだけの会話のようなものだ。

 

だからこそ、話の内容のクオリティには気を使っているし、その分自信もある。

笑いさえ取れれば何でもいい、という考えではなく、時事ネタや世相も加えた万人受けするような、そんなお笑いである。そして新郎新婦の友人のみが知っている様な身内ネタは極力入れず、晴れの日に相応しい明るく楽しい話をする事に気を付けている。

 

そんな自分たちのスタイルが確立できていることを非常に誇らしく感じられている、という共通認識があることを以前俺とリツで話し合ったことがある。

 

あの時もいつもの居酒屋のカウンター席で飲んでいた時だった。

 

パンジーというコンビ名も決まっていたが、どんなスタイルのお笑いをやろうか、というコンセプトを話し合っていた時だった。

 

今売れている芸人のスタイルをまねしたり、一発芸的なこと、もしくはオーソドックスなスタイルなど、どんな方向性でステージを盛り上げようかと真剣に悩んでいた時だった。

 

「結局さぁ、パチンコもそうだけど、何事にも自分なりのアレンジを加えるから単調なことであっても楽しくなるじゃん」

 

リツの言葉は俺を納得させるには十分な内容だ。

 

「確かにな。大負けしている時なんて、もう『何やっているんだ俺は!』って投げやりな気持ちになっちゃうんだけど、そんな不安な時でさえもドラマの主人公になった気分で俯瞰的に自分を捉えてれば、『負け』も案外楽しく感じちゃうんだよな」

 

俺の言葉にリツは「わかる!わかる!」と大げさなジェスチャーを交えて返事をする。

 

「人生一度きりってことは、当たり前だけど全く同じ日なんてないし、全く同じ瞬間もないじゃん。今は人生でたった1回しか味わう事出来ない瞬間なんだから、楽しんだもの勝ちってことだよな」

 

こうして俺たちパンジーは、誰をまねるとか参考にするではなく、自分たちのスタイルで自分たちが納得し楽しめるような芸風をどんな時も貫いていこう、ということに決まったのだ。

 

「それでウケなければそれはそれでいいよな。お笑いだけがすべてじゃないしな!」

 

俺とリツの関係が更に深まった瞬間でもあった。

フィーバー税理士 パートナーシップ

【パートナーシップ】

 


親友っていうのは、単に楽しく過ごせる友人ということではないらしい。
まじめな話を真剣にすることができて、本音を言い合える仲というのが本当の親友の姿のだろうとしみじみ思う。
アルコールが結構入っているのに、お互いあまり酔っていないようだ。
むしろこういった話をもっと深く、もっと共有したいという願望にお互い駆られているのがわかる。


だから俺は東さんのことをひっきりなしに話題に出して「東さんがこう言っていた」「東さんがだったらこういう時はこう言うんだ」といったように・・・
そして東さんが俺にいろいろと教えてくれるように、今度は俺が東さんの役目をリツにしてあげている感覚になっていった。
「じゃぁリツ、質問だけど、パートナーってどういう関係のことを指すと思う?」
「う~ん、ウィキペディア的に言えば協力関係とか協調関係っていうことだろうけど
・・・」
「そうだよな。それは確かに正しい。でもそれだけじゃないんだよ。協力関係っていうのはどうしても割合で考えがちだろう?出資比率だとか分担割合だとか、とにかく物理的な分割ばかりに目が行ってしまい、その割合をちょっとでも超えると損してしまうと考えちゃうだろう」
「確かに・・・それはあるな」
「でも本当のパートナーシップっていうのは、そんな縦割りしたような割合分担の関係じゃないんだよ。本当のパートナーシップっていうのはお互いがお互いを認めて、それは良い点も悪い点も含めて理解し合って、その上で同じ志を持って取り組むことなんだよ」
「なるほどね」
「だから足して100になるような関係は本当のパートナーシップとは言わないんだ。本当のパートナーシップだったら足して150とか200、いやもっとそれ以上にもなっちゃうっていう関係性なんだ」
「俺たちのような?」
笑いながらリツは俺の顔を覗き込んだ。
「そう、そうなんだよリツ!その通りだよ!」

俺はなんだかうれしくなってきた。
飲食も忘れてお互いにこんな会話を続けていたら、すでに2時間以上も経っていた。

「リツさぁ、今迷っている時だと思うんだけど、それも必要なこととして迷うだけ迷ってみたらいいんじゃないかと思うよ」
「そうかもなぁ・・・」
「だってさぁ、迷うっていうのも生きていることの証拠だし、人生に無駄なんてないと思うんだよな。必要だからそれがある、必要ないからそれがない、っていうことだと俺、思うんだ」
「確かに・・・」
「東さんが言ってたよ。もし自分の乗っていた客船が沈没しそうになってしまい、限られた人数しか乗れない救命ボートがあったとしたらどうするかってね。深―い質問なんだけどさ」

「う~ん・・・俺だったらまぁ女性や子供を優先するかなぁ?でもその時になってみないとわかんないかも・・・」
「一般的にはそうなるよな。か弱い女性と未来のある子どもを優先するのは当然のことだけど、でも本当は誰もが助かりたいと願っているのは間違いないだろう」
「ま、そうだよな」
「中には女性や子供を押しのけてでも救命ボートに乗ろうとする人がいたって不思議じゃない」
「うん、でも映画だったらだいたいそういうキャラクターはその後死んじゃうんだよな(笑)で沈没船の残った主人公が危機的な状況から脱してヒーローになっちゃうっていうパターン・・・・」
「はっはっ、おいおい先にどんどん行かないでくれよ。映画ではそうなのはわかるんだけどさぁ」
笑いながら俺は応えた。
「何が言いたいかっていうと、人を押しのけてでも生きたい、生き続けたいという願望を持つことは大切なことなんだよ。つまり自分をどう生かすかということを自分なりに考えることが重要だってこと。それは人を押しのけて救命ボートに乗ることも自分なりの生かし方だし、人に譲って沈みゆく客船で生き残りを探るのも自分なりの生かし方だってことさ」

「そっか・・・生存確率の問題ではなくどう自分を生かすために行動するかってことだな」
「そうそう!おっしゃる通り!これが東さんの教えだ」
「悩むのも必要っていったプロの意味が分かったよ」
リツはそう言うと一気に皿の料理を口に放り込んだ。
心なしか元気を取り戻したように感じたのは俺の気のせいだろうか・・・
(リツ、お前は俺の親友だ!悩みも一緒に共有しようぜ!)
書き込むように食べているリツを見ながら、俺は心の中でそうつぶやいた。
まるで子供を見つめる父親のような気持ちで。

リツとの会食は、お互いにとって有益であったことに間違いはないようだった。
すっきりとした表情になったリツは、あの日の別れ際に「もう少し今の会社で悩み続けてみるわ」といって帰っていった。
あの後ろ姿は、まぎれもなく自分自身の選択であり生きざまを感じさせるのには十分だった。
俺は28年間生きていて、初めて人の役に立てたような気がした。
そして俺は再び『東塾』に通うべく、まだまだ多くのことを学ぶためパチンコホール通いの日々を再開させた。

しばらく東さんとは会えていなかったが、東さんともLINEでメールをやり取りする仲になっていたので、会えなくても余計な心配をする必要がない。
今や俺の心の支えは東さんとリツの二人だ。
その二人とLINEでつながっていることは、俺にとって命綱のような感覚であり、日々の生活に安心と自信をもたらしてくれる。
そんな東さんが久しぶりにホールで見かけた。
忙しそうに数人のスタッフと話し込んでいたので、俺は客として目ぼしい台に座って打ち始めた。
(東さんは俺のこと気が付いただろうか・・・)

そんなことを考えていると思わせぶりなリーチが連続してきた。
(そろそろ来るかな?)
そんなことをぼんやりと考えていると、台のハンドルのそばに置いておいたスマホが振動してLINEの着信を知られてくれた。
それは東さんからで、例の洋食レストランに12時集合と短い文のコメントがあった。
俺はハンドルからいったん手を放し「いつもありがとうございます。12時、かしこまりました。喜んで伺わせていただきます」と丁重に返事をした。
東さんとはLINEでつながっているとはいえ、電話で話したことは一度もないし、こんなメールのやり取りを数回しただけだ。
さすがにリツとのやり取りのように東さんとするわけもいかないし、必要な時に東さんから連絡が来るであろうという受け身のスタンスでいた。
東さんとLINEでつながっているという事実だけで東さんに認められているようで、十分満足だった。

12時10分前に俺は通りを渡った例のレストランのドアを開けたら、いつも通りの席にすでに座って新聞を読んでいる東さんの姿が見えた。
「お待たせしてすみません!」
東さんがまさかすでにいるとは思ってもみなかったので、狭い店内を小走りに奥へと進んでいった俺は段差でコケてしまいそうになった。
「おいおい、大丈夫かい?」
あの柔和な顔で東さんが迎えてくれる。
「いやぁ、東さんがまさか先に来ていらっしゃるとは思っていなかったもんで・・・」
「はっはっ、そっか、そっか。でも気にすることはないよ、約束の時間の10分前だから問題ないぞ、川上君よ!」
そういうと席に座るように促してくれる。
GDP成長率、前年同期比より上昇
そんな見出しの新聞を眺めていると、東さんも改めて新聞に目を向けて言う。
「この記事、どう思う?」

この日もまた東さんとの問答からスタートだ。
「そうですねぇ、GDPって国内総生産でしたよね」
「その通り。一定期間で日本国内の経済活動を示す政府の統計だな」
「前年同期比より上昇と言っても、その実感、全くないっすね」
「そうだよなぁ、これって政府が出している正式な統計数値であり経済的な豊かさを示す
代表的なのだけど、確かに実感なんて全くないよな」
「ですよね・・・」
「なぜだかわかるかい?」
「なぜなんでしょうか・・・う~ん、ちょっとわかりません」
「記事の見出しでは『前年同期比より上昇』と書いてあるけど、それは実質GDPのことを指しているんだよ」
「実質・・・あっ、そういえば学校で『実質』と『名目』があるってこと習ました。大学受験の模擬テストでも出た気がします」
「おぉ、さすがは名門大学を卒業しただけあるな!その通りだ。よく見ると実質GDPは上昇していてもインフレ率を加味した名目GDPは上昇していない、つまりこの見出しは単に実質GDPを昨年と比較して書いていつだけだってことだな」
「はい・・・」
ちょっと自信なさげに答えた俺のことをニコッと笑ってから東さんは新聞をたたんだ。
「何が言いたいかって、それは一部分では事実かもしれないが、全体でもそれが正しいということにはならないということなんだよ」
「そうですね・・・」
「特に新聞やテレビというメディアは、良しにつけ悪しきにつけある程度のブランド力という信頼性を持っちゃったから、視聴者はそれを鵜呑みにしてしまう傾向にある。でもそれは情報を受け取る我々に問題があって、なんでもかんでも鵜呑みにするのではなく、そのからくりや信ぴょう性を自分なりに考えて判断するっていうことが必要なんだよ」
「わかります。ネットなんかには情報があふれていますけど、結構眉唾ものもありますからね。それに先ほどのGDPのニュースなんて、数字の取り扱い方を調整するだけでポジティブな情報にもネガティブな情報にもなり得て、それこそ統計マジックみたいな所もありますよね」

俺の言葉に満足したような東さんは、早速メニューを眺めていた。

オーダーを終えると東さんはおもむろにこういった。
「LINEなんかで呼び出したりして悪かったな」
「いえいえとんでもないですよ。お声をかけていただいてうれしいっす。でも東さんよく俺がいたことわかりましたね」
「おいおい、そりゃ俺はあのホール全体を統括して管理している会社の責任者であり社長だぞ。どんな客がどんな遊び方をしているのか逐一見ているし、それに管理室に行けば監視カメラでホールの隅々までわかるからな、そしてその映像は記録もされているし」
「そりゃそうですよね、失礼いたしました」
「でも川上君の今日の行動は良かったぞ。ホールで俺のことを見かけても必要以上に目で追わないし、声もかけてこないところが・・・」
「えっ、そうなんですか?俺は話し込んでいた東さんを見て声かけ辛かっただけなんですけど・・・」
「そこが大事なところだ。考えてもみろよ、このホールの運営を受託している会社の社長が特定の客と親しく話していたら・・・周りのスタッフの目もあるし、ましてやここのオーナーが見たらどう思うかってことを」
確かにそうだと頷きながら東さんの次の言葉を待った。
「その特定の客が毎日来る客で、しかもしょっちゅう大当たりを連発していたら・・・相手の立場と状況を慮るってことは、相手への配慮であり礼儀でもあるから大切なことなんだよ、その点今日の君の行動は模範的だったよ。だからお礼にお昼を誘ったんだ」
俺はホッと胸をなでおろした。
もし東さんがあの時スタッフと話し込んでいなかったのであれば、もしかしたら声をかけていたのかもしれないし、声をかけずとも目礼するなりしていたかもしれない。
監視カメラがあるということも忘れて・・・
(だから初めて会って話した時も、そして再会した時もトイレだったけど、あれはさすがにトイレにまでは監視カメラがないから東さんもあの場であることで俺に気軽に話してくれたんだ!)
それを知った俺は、まさしくさっきの新聞の見出しのことと重ねて感慨深く思い、唾をのみこんだ。
(相手のことを配慮する心・・・絶対に忘れちゃいけない!)

この日のランチは白身魚のムニエルだ。
最近魚をあまり食べていない俺にとっては有り難い選択であったし、そもそも東さんが強く勧めたメニューでもあった。
でも東さんに声をかけなかったことで救われた一件があったことで、その日はあまり味わって食べることができなかったのが本音だ。
今日のように、橋から落ちそうになることがあっても、俺は確実に成長していることが自分でもわかる。
気を付けて橋を渡り切りたい・・・
橋の向こうにどんな光景があるのかはまだわからないが、この成長のステップを止めることなく東さんとの縁を大切にしていきたいと強く願った。

白身魚のムニエルも美味しくいただいた。
東さんご贔屓のこのお店の料理は本当にどれもおいしい。
「ここの料理はどれも本当に美味しいですね」
お世辞ではなく本心からそう思っている。
「それは良かった。なぁ川上君よ、料理ってのはこしらえるものではなく悟るものだっていうことを言った人がいるんだけど、誰か知ってる?」
「こしらえるのではなく、悟る、ですか・・・誰だろう?」
北大路魯山人だよ」
「あっ、芸術家の・・・」
「そうだよ、あの魯山人の名言なんだけどね、俺はこの言葉が好きでね、本当に料理の真髄を言い当てている最高の表現だと思うんだ」
「ってことは東さんは料理するんですか?」
「いや、しない(笑)!」
食い気味に即答した東さんのタイミングがあまりにも絶妙だったので、大笑いしながら二人で店を後にした。
そしてそのあと、この日の午後にちょっとした事件が起こることになる。

ホールに戻ると俺は再び台に座って黙々と打ち始めた。
この台は『大花火』といって、当たりが来た時の電飾が好きだ。
本当に花火が打ちあがっているようで、子供のころ家族で見に行った夏の花火大会を思い出すことがある。
遠い昔の記憶だが、あの頃は父と母、そして兄の4人で神戸の夏祭りに出かけて、港からみんなで花火を見たことがあった。
俺がたしか6歳くらいのころだったと思う。
あの時の幸せは幻だったのか・・・
大花火は午前中、一度だけ大当たりがきたのだが、連チャンすることもなくその後もパッとしなかったが、お昼を東さんと一緒だったこともあって、今後こそ大当たり連チャンを引き当てられそうな気分になっていた。
これまでもそういったことが何度かあったからという、単なるゲン担ぎのようなものなのだが・・・
1時間ほど経過したが、その気配も全くなく、財布から1枚、また1枚と減っていく。
この台は、ここ数日相当飲み込んでいるのでいつ大当たりが来てもおかしくない状態であるし、データからしてもほぼ確実に高設定になっているはずだ。
台を移動したい気持ちと、自分の判断を信じたい気持ちとで揺れていたが、俺は後者に賭けることにした。
なぜなら東さんとランチをした後だから、という単純な理由かであり直観からである。
ようやく大当たりが来たのが、それから30分ほどしてからだった。
確変の文字と共に大花火が打ちあがった液晶画面には、色とりどりの鮮やかな花火が描かれている。
(やっと来たか・・・)
ほっと一息つけるな、と思いつつ手元にたまったドル箱の交換をしてもらうために台上部のコールボタンを押した。
すぐに飛んできた若い男性の店員がそそくさといっぱいになったドル箱を足元に置くために俺の手元にあるドル箱に手をかけた。
そのとき随分と俺に接近しながらドル箱を抱えたために「彼はまだ新人のアルバイトだろうな」と感じた。
慣れていないとドル箱って結構重いものだ。
いざ持ち上げてみると、見た目以上の重さに驚いて、入店間もないアルバイトなどは大抵客の目の前まで体を持ってきてしまうことがある。
おかげで視界が遮られてしまうことが多いのだが、この距離感でベテランか新人かの区別がつくのだ。
明らかに新人のアルバイトらしき店員は、おそらく20代前半といったところだろうか。
大学生だと思われる彼は、いっぱいになったドル箱を本来ならば俺の座っている椅子の柱近くに置くものなのだが、今日の台の位置が島の一番端っこだったこともあってか結構な距離を開けてドル箱を置いたのだ。
(ちょっと遠すぎないか?そんな位置に置いたら通路を通る人の邪魔にもなっちゃうぞ)
心の中でそう叫んでも彼には聞こえるはずもない。
(それともたくさん出ているというアピールのために店側の指示なのだろうか?)
そんなことを考えている俺の前に、慣れない手つきで空箱を置くとその彼はスッと消えてしまった。
(まぁいいっか)
俺は気を取り直して台に集中した。
2箱目もいっぱいになり再びコールボタンを押すと、今度はいつもいるベテランのお兄さんがやってきて、恭しくお辞儀をすると慣れた手つきでドル箱をさっと入れ替える。
そして最初の新人君が置いていった1箱目のドル箱の位置を俺に近づけてその上に2箱目を積んだ。
(そう、その位置だよ。その位置なら安心できる。ハンドルを握ったままでも手を伸ばせば届く距離だ)
さすがだなぁと思っていると、ベテランスタッフは俺の台の上に「大当たり」の札が付いていないことに気が付く。
この店では最初の大当たりを引き当てた時、通常はその台の上に「LUCKY 大当たり」と書かれた札を指すことになっているのだが、先ほどの新人君はそれを忘れていったようだ。
その意味も込めてであろうか、ベテランスタッフは今度は先ほどより深くお辞儀をして立ち去って行った。
その際「失礼いたしました」といったようにも聞こえたが、騒音にかき消されたため定かではない。
でもこのことが尾を引くことになる。

連チャンで6箱ほど積んだころ、再び通常モードとなり台はおとなしくなった。

(まぁ、こんなものかな・・・)
激アツ連チャンラッシュが終わり一息入れたところでふと目を台から外すと、先ほどのベテランスタッフと新人君が何やら話し込んでいるのが見えた。
島の端っこの台だったこともあって、その二人が何やら揉めている様子がよくわかる。
話している内容は全く聞こえないが、ベテランスタッフが新人君を諫めているように見え、最初は頷きながら聞いていた新人君も徐々にその頷きがなくなり、ついには何事かをベテランスタッフに言っているようだ。
その表情は険しく、若干口を尖らせているところからも明らかに強い主張を繰り返していことがわかる。
(んっ!)
ただならぬ気配を感じた俺は、その様子を見続けていいものかどうか迷っていたその時、東さんがサッと現れて、二人の腕を引っ張って奥の方へ連れて行ったのだ。
(何があったんだろうか・・・?)
そのときの俺の予感は見事に的中していた。
あとからわかったことなのだが、新人のアルバイトが俺に対する接客がなっていないとベテラン社員であるスタッフが注意をしたのだが、新人君は目も合わさず聞いているのかいないのかわからないようなそぶりだったため、ベテラン社員がちょっときつく言ったことに対してアルバイトが憤慨したとのことだった。

その日の夕方、時間にして確か5時過ぎぐらいだったと思う、LINEに東さんから「ちょっと付き合ってほしい」とのメールが入ったので、俺は二つ返事でOKをした。
ちょうど大花火も順調に打ちあがってくれたおかげで、足元のドル箱も満足のいく高さにまで成長してたことも俺に余裕を与えてくれた。
東さんがLINEで指定してきた場所は、いつものレストランではなく、ホールから少し離れた駅方面にあるコンビニの上にある喫茶店だ。
おそらく昼間の新人アルバイトの件であろうことは容易に想像がついた。
ガラス扉の喫茶店の前で中をのぞくと、東さんがちょっと険しい表情でコーヒーをすすっているのが見える。いつもとは違う顔だ。
俺は子供のころから人の表情には敏感だった。
その人の顔を見れば、一瞬で今の感情を理解できるという変な能力が備わっていた。
先天的に「備わっていた」のか、それとも後天的「備わった」のかは定かではないが、その精度には絶対の自信がある。
ガラス扉を開けると、ドアの上部についているベルが少々大げさに鳴り響き来店を店内に告げる。
東さんは俺を発見すると手を挙げて「よう!」といった。
俺は軽く会釈しながら東さんと向き合うように、赤いビロード張りのような椅子に「センスが悪くないか?」と心の中でつぶやきながら腰をかけた。
「楽しんでいるところ、急に呼び出したりして申しわけなかったね」
「いえいえ、とんでもないです。全く問題ありませんので大丈夫です」
ちょっとかしこまっている東さんは、両手を膝の上に乗せ換えると、
「今日はうちのアルバイトが川上君に無礼を働いてしまい、大変申し訳なかった。本当にすまない」といって深々と頭を下げたのだ。
俺は驚いて、両手を挙げてバイバイするかのような仕草で「そ、そんなこと、なんとも思っていないですよ」と慌てふためいて言った。
「いや、そういうことではないんだ。こちらとしてはおもてなしをする側なので、会社としての接客姿勢というものがある。それに準じているかどうかということと、そのアルバイトと注意をした社員がお客様のいるホール内で揉めてしまい申しわけないと思っているんだ。
見苦しい光景を、お客様の前で晒したことこそ申しわけなく思っている。本当に済まなかった」
店員が来て俺の前に水の入ったグラスをドンッと置いたのにも関わらず、再び頭を下る東さんには、他店の接客が悪いとか、そんなことはどうやら関係ないらしい。
東さんと俺とのやり取りを見て、混み入っているので時間をおいてオーダーを取りに来てくれればいいものの、そんな配慮を一切見せずオーダーを待ち構えている中年女性の定員に根負けした俺は「ホットお願いします」と仕方なく言葉にした。
「東さん、お願いですからもうやめてくださいよ。確かにドル箱を交換するときお辞儀をしなかったですし、俺に近寄りすぎてぶつかりそうにもなってましたし、台の視界は遮られましたよ。それで、あ、この人は入りたての新人だってことがすぐにわかりました。慣れていないのだからやむを得ないことですよ」
頭を下げたまま東さんは何も答えない。
こんな東さん見たことがなく、俺は戸惑ってしまう。
とにかく何かしゃべっていないと、この場に居づらくなってしまう・・・
「それに新人さんと社員さんとが揉めていたといったって、ほんの数十秒ほどのことですから・・・客だって台の方に夢中ですし、俺なんかあの時、激アツリーチに目を奪われていましたから、周囲のことになんかに気を取られている暇はなかったし隣の女性がキレイで気になってましたよ(笑)」
ちょっと無理しておどけてみたが、効果は無いに等しくむなしい結果に終わった。
「それにあの時、東さんがすぐに二人を連れ出したので、客はその光景を目にしていませんよ、そう間違いないですよ!」
「気を使ってくれてありがとう。確かにあと時、ホールでの異変に気が付いてすぐに事務所の方へ二人を連れて行ったんだけどね・・・結局どちらが正しいか、どちらが間違っているかという良い悪いの問題じゃないんだよ。アルバイトの彼は慣れていないからわかっていても、うっかりお辞儀を忘れたりぎこちない動きになってしまう。社員はそれを見て咎める。どちらの行動も理解できるし悪意も何もない」
「そうですよ。そばにいて俺もよくわかります」
「ただ唯一二人に足りなかったのは、相手の立場を理解しようとせずすべて自分の尺度でしか見れていなかったということなんだ」
「確かに・・・でも人間って誰もがそうなりやすいですよ」
「その通りだね。人間は失敗する生き物だし、失敗していいと思うんだ。そしてその失敗を責めるのではなく周囲がそれを理解し、認めあい、ともに成長していけばいいじゃないか」
「以前おっしゃっていたパートナーシップの定義ですね」
「うん、覚えていてくれてうれしいよ」
しみじみという東さんの表情は、今日一日で大きく老けたように思えた。
「事務所で二人に言ったんだ。君たち二人はどちらも間違っていないよ。よく働いてくれているので感謝しているくらいだとね。そしてこう言ったんだ。たった今から相手の立場で考える目線を意識して欲しい、それができればすべてに余裕ができるしすべてが自分の思い通りになるよ、だまされたと思ってやってごらん、ってね」
「へぇ・・・怒られるかと思っていたかもしれない二人にとっては意外ですね。でもそれがかえっていいんでしょうね。さすがだ!」
「目の前に起こる出来事というのは自分の写し鏡なんだよ。自分が尖がっていれば相手も尖がってくるし、自分が心を開けば相手も開いてくれる、多少の時間差はあってもそれは間違いない人生の法則だということを二人には伝えたんだ」
「どうでした?それを聞いたお二人の様子は?」
「社員の方から手を差し伸べて握手したよ。アルバイトの大学生も頭を下げて詫びていたしね。ちょっと涙目になっていたけど・・・」
「東さんの想い、完全に伝わりましたね!
ケンカ両成敗、っていう諺ありますけど、2人は今回からはケンカもうせんバイ!ですね(笑)」
俺はOKサインを右手で作りながら変な九州男児のモノマネをして、再びおどけてみた。
東さんもニコッとしてくれたのを見て、今回はすべらなかったと確信した。

【ヘルプとサポート】
お互いを認め合い、ともに成長する・・・それがパートナーシップ
東さんからこれまで多くのことを教えてもらったが、今日の一件は日常でありがちなことを取り上げてそこから学べたことで、さながら実地訓練のような感じがした。
東さんの話を聞いた二人が握手を交わしたシーンを想像すると、なんだかとても清々しい気持ちになれたし、自分もまだまだ成長したいと思えた。
いや俺だけではない、ともに成長するのは東さんもそうだし、リツだってそうだ。
そして今日の二人だって今後も成長してほしいと、率直に思える。
そう思える自分が、今成長過程にあるという証拠だと確信できた。
東さんの表情からはすっかり曇りが取れて、いつものような柔和で、でも奥底にみなぎる自信と強さのある顔に戻っていた。
「メシを食うにはちょっと時間が早いしなぁ・・・まぁもうちょっとゆっくりしていくか」
そういう東さんは、来た時と違ってリラックスしている。
というのも、東さんはさっきまでは俺をホールの客として見ていたからだ。
アルバイト店員の粗相と、見苦しいい光景をさらしてしまったことに対して詫びを入れるという礼儀は、明らかに俺を知り合いではなく「客」として接していたからだ。
そのこだわりといい、メリハリのある区別といい、俺は改めて東さんの底力を見せられたような気がして、畏敬の念がさらに増した。
いつものようなリラックスモードになっていたので、何気なく俺は質問をしてみた。

「そういえば前に『成果』についてお話をしてくれましたけど、その成果をつかみ取るコツってあるんですか?」
「コツねぇ・・・」

こういった質問に応えることに東さんは喜びを感じていると最近わかった俺は、師匠と弟子の関係を通り越して、馴れ馴れしくそして厚かましく教義を学んでいる。
それは成長したいという本能がそうさせているのだ。
「人間一人では生きていけないものだろう、成果も一人で成し遂げられるものと思いがちだけど、そこに至るまでに多くの人の協力があって導かれる。それがチームのように複数になると目に見えて行うことができるようになるよね」
「はい、そうですね」
「でもチームであるのに、そのことを忘れて協力という援助を拒む人もいるんだよ。それは変なプライドであったり、おかしな価値観であったりが原因なんだけどね。素直に援助してほしいと願い出ることも成果をつかみ取る近道でもあるんだ。そしてそのとき重要なことは援助にも『ヘルプ』と『サポート』の2種類があるってことを理解していなくちゃいけないんだよ」
「ヘルプとサポートですか・・・」
いつもの質問が始まったようだ。
「違い、わかる?」
「ヘルプデスクのお仕事とサポートセンターのお仕事とかですか(笑)・・・」
馬鹿なことを口にしてしまったと後悔したが、後の祭りだ。
「ヘルプはその時に起こった問題を解決するための一時的な対処療法で、サポートは問題が起きない状態を維持継続させるための根本治療といったイメージだね。つまり時間軸という視点で考えればわかりやすいと思う。ヘルプの時間軸はそのとき、つまり短くて、サポートは長い、ということ」
「あぁ、なるほどよくわかります」
「だから援助を必要としている場合は、ヘルプしてほしいのか、それともサポートしてほしいのかを明確に相手に伝えなければ、問題が解決できないどころか余計に複雑になってしまうこともある。それもコミュニケーションであり、その関係ができることがパートナーでもあるんだよ」
「お互いを認め合って助け合ってともに成長していくんですね」
「そう、その通り!だから今日の件も、お客さんとして君には大変失礼なことをしてしまったけど、あの二人にとっては理解し合えるいいチャンスになったと思うんだ。だから俺はあの二人が今後成長すると確信しているんだ」
事実、あの後のベテラン社員とアルバイトの学生は息の合った名コンビとなって、ホール全体の運営に大きく貢献していったのだ。

■コラム■成果をつかみ取るためにチームで行動する時には援助が必要となる。しかし援助をもらうことに抵抗を感じる人が多い。成果の為にはつまらないプライドや誤った価値観を捨て、援助を求める姿勢が大切だ。援助をする側もあなたが援助を必要としているのかどうかを意思表示しないとなかなか効果的な援助ができない。そして援助の仕方には「ヘルプ」と「サポート」とがあり、明確に異なるその場しのぎで手伝うだけのヘルプをするのではなく、その人が出来るようになるサポートをして、共に成長することが大事なのだ。

フィーバー税理士 ランチにて

【ランチにて】
レストランの扉を開けると、お世辞でも広いとは言えないものの内装や調度品はそれなり
のこだわりと統一感があることが、素人の俺でもわかる。
その店内の一番奥にオッサンの姿があった。
すでに席に着席して女性の店員と何やら談笑していたが、俺と目が合うとにっこりと笑っ
て手招きをする。
店員にも促され着席した席には、すでに水が注がれたおしゃれなグラスが置かれてあった

「さぁ、好きなものを頼んでくれよ。といってもここのおすすめはハンバーグステーキな
んだけどね」
オッサンの屈託のない温厚な表情はまるで子供のようであった。
「あっ、は、はい。じゃぁそれでお願いします」
「若いんだからなんでも食べれるよな。よし、じゃぁハンバーグステーキのランチセット
を2つね」
メニューを受け取った店員がはけると、オッサンは俺をじっくりと見つめてゆっくりと話
し出した。
もちろんあの子供のような笑顔のままで。
「君とこうして会うのは2度目だね。あれは確か3年前だったよな。あれから3年かぁ
・・・ところで急に誘っちゃって申しわけなかったね。なんだか君とは3年前に会ったと
きにも感じたんだけど、なんか縁を感じるんだよなぁ」
まくしたてるように一気に話すオッサンは、結構話好きなのかもしれない。
「は、はい・・・3年前のあの時、俺は確か北斗の拳を打ってて、ちょうどトイレでお会
いした後に大当たりが来たのをよく覚えています」
「はっ、はっ、はっ、そうだよ、そうだった、そんなこと言っていたね」
「はい、だから俺にとっては福の神に思えてしまって・・・あっ、えっとなんてお呼びす
ればいいですか?」
このままランチを食べながら会話していくことを想像すると、オッサンのことをどう読ん
だらいいのかきっと戸惑ってしまうであろうことは容易に想像がついたので、俺は恐る恐
る聞いてみた。
「おぅ、失礼、失礼。私の名前はひがしやまてるというんだ。京都東山の東山に照明のて
るね。君は?」
「俺はかわかみくろとと言います。山川の川に上下の上、くろとは素人の反対の玄人と書

いてくろとです。」
大学卒業後に入った人材派遣会社で、営業に回るときに必ず自己紹介をするのだが、その
とき相手に印象を少しでも残せるように簡潔でわかりやすく自己紹介をするようにと指導
され、覚えたフレーズをよどみなく言った。
「いいね、いいね、川上君かぁ、なんかいいものを持ってるね、君は」
何がいいのかさっぱりわからないかったが、人材派遣会社に入社して得た唯一の経験が、
よどみなく自己紹介ができることであったということを今気が付いた。
「なんてお呼びすれば・・・」
「おぅ、そうね、俺のことは東山さんと普通に呼ぶ人もいるけど、ちょっと言いにくいよ
うなのでほとんどの人が東さんとかテルさんって言ってるなぁ・・・」
さすがに俺のような分際でテルさんとは呼べるわけがない、しかも3年前に一度会ってい
るとはいえほとんど初対面みないな関係なのであるからなおさらだ。
「じゃぁ東さんと呼ばせていただきます」
「おぅ、いいね、いいね、それでいいよ」
短い時間でオッサンの口癖が何であるかすぐに知ることができた俺は、手元のグラスで水
を一口ふくんだ。
そしてこの後、オッサンの正体を知ることになる。
オッサン、いや東さんと俺はハンバーグステーキを食べながら会話を続けた。
と言ってもその大部分は東さんが一方的に話し、聞かれたことに対して俺が少し言葉を返
す程度だったので、8対2くらいの割合で東さんがしゃべっていた。
東さんは、今年55歳で、実はあのパチンコホールの経営委託を受けているコンサルタン
ト会社の社長さんだと聞いて、これまでのことがすべて合点できた。
もともとは年商80億円の会社を経営していたものの、資金繰りが悪化し大変な経験をさ
れてきたらしく、借金がピークで20億円もあったというから驚きだ。
俺も自分のこれまでのいきさつを、非常にコンパクトにまとめて伝えたが、あまりにもコ
ンパクト過ぎたのではと心配したが、さすがは人生の大先輩、東さんは表現力の乏しい俺
の説明でもすぐに俺のことを理解したようだ。
「川上君さぁ、人生に大切なものってなんだかわかるかい?」
「大切なもの・・・ですか?」
「そう・・・まだ若いから答えられなくても仕方がないけどね。じゃぁ質問を変えよう。
川上君はなぜパチンコをするんだい?勝つかどうかもわからない勝負に?」

「何でですかねぇ・・・負ける時もあるけど、でも勝てる時もあるっていう根拠のない確
信みたいなのがあるからでしょうか」
「ほぅ、さすがだね、いいところに気がついているね。そう、負けもあるし勝ちもある。
それを知っておくことが大切なんだよ」
東さんは手に持っていたフォークとナイフをおいて、俺をじっと見つめ直した。
これから重要な話をするぞ、というサインだ。
「人間ってのは勝ち負けが好きな動物なんだよ。会社同士や仲間同士でも競争しあって勝
った負けたという事を決め優劣を作りたがる。でもそこで考えてみてほしい、本当に相手
を負かせて自分だけが勝つのが良いのだろうとね。別の言い方をすればwin-winにはできな
いのかとね」
(理屈はわかります。でも資本主義社会がそもそも競争原理で成り立っているものだし、
競争によって淘汰と進化が起こるのだと学校で習いましたよ、と俺は口には出さず頭の中
で言った)
「結論からいえば、競争せず共に勝つことは可能だなんだよ。でもよほど意識していない
とついつい勝ち負けの心理に巻き込まれてしまうものなんだ。まずは相手を勝たせること
で自分も勝つことが出来るような関係を築くことが重要なんだ。それを心理学用語でいう
と『ラポールの構築』というんだ」
「なるほど・・・」
いまいちピンとは来なかったが、そう答えるしかなかった。
「最初の質問に戻ろう。人生で大切なものっていう質問にね。ここまでの話を聞いて何か
浮かんだ?」
「そうですね、幸福ってことですかね・・・」
どう反応するのか、怖さと好奇心で言ってみた。
「幸福、そうだよね、それとても大切なことだよ。じゃぁ幸福、つまり人間の幸せって何
だい?」
「う~ん・・・」
言葉に詰まった俺に助け舟を出すかのように、間髪入れずに東さんが説明してくれる。
「幸せには四つの要素があると思うんだ。それは『経済』『家族』『健康』『自己実現
の4つね。これらのどれが欠けてもいけないし、1つだけ飛びぬけてもダメだと思う。4
つを等しくバランス良く持てることができれば人は幸せを感じるというのが俺の経験から
得たものなんだ」
そういって東さんは再びナイフとフォークを手に取った。
「東さん・・・何で俺みたいな社会からドロップアウトした人間にこんなこと教えてくれ

るんですか?」
「迷惑かい?」
ちょっと驚いたような表情を一瞬見せたものの、すぐにあの穏やかな笑顔になって東さん
は聞き返してきた。
「い、いや、とんでもないですよ!聞き入ってしまうほど今の俺にとっては染み渡るお話
ですし、とてもありがたいと思っています。ただなぜ俺なんだろうかって・・・」
「それがご縁っていうやつだよ」
「ご縁・・・ですか」
「俺もなぜこうしているのかわからん。ただ俺の本能がそうさせているんだ。3年前に君
と偶然遭った時も君から何か感じるものがあった。そして再び今日再会し手もその感覚は
一緒だった」
「ありがたいです、ほんとうにありがたいです」
なぜこみあげてくるものを抑えながら、それを東さんに気づかれないように俺はハンバー
グステーキを必死になって口に運んだ。
少しの沈黙のあと、おもむろに東さんがこう言った。
「最初の女房との間に初めて子供ができたとき、それが男の子だとわかって俺は大喜びし
たんだ。でもその子は生まれて間もなく亡くなってしまったんだよ。その子が生きていた
らちょうど川上君くらいなんだよなぁ」
「そうだったんですか・・・」
こういった時は何か慰める気のきいた大人の言葉をかけるべきなのだろうが、それ以上の
言葉を発することが俺にはできなかった。
東さんは、最初の奥さんとはそれがきっかけで離婚をし、その後再婚したもの、その人と
も離婚をしたので自分はバツ2であるとのことだった。
20億の借金といい、そんなことも隠すどころか明るく話してくれる東さんに俺、これま
で他人に対して一度も感じたことのない親近感を感じていた。
東さんは俺を死んだ子供のように感じているらしいということはわかったが、俺は俺で亡
くなった親父と話しているような感覚を抱くようになっていった。
お互いに引き付け合うべくして引き付け合ったと考えた方が自然だろうし、とにかく今の
俺には東さんの言葉がとてもよく染み込むし、それをもっと吸収したいという願望が生ま
れつつあった。

パチンコホールの委託経営業務は、東さんの会社で専属で行っているようだったが、その
おかげで業績も上向いてきて、東さんもそれには満足しているようだった。
それでも失敗しするリスクとも常に背中合わせなので、事業をするということはなかなか
安心はできないとも語ってくれた。
「俺もこの仕事をするまでは多くのことを経験してきた。そして何度も失敗を繰り返して
きた。最初は思うように成果も上がらず、そのたびに俺は成果を出せなかった理由を探し
ていたんだよ。つまり言いわけをし続けていたということだな。言い訳は成果の反対語な
んだってことにあるとき気が付いたのさ。そんな言い訳ばかりを繰り返している自分に嫌
気がさして、言い訳をする時間があるのならその時間を成果をつかみ取るために費やそう
と考えを切り替えたんだ」
「そうなんですか・・・素晴らしい気づきですよね」
「そういってくれるとうれしいなぁ・・・でも気づきといっても結構な年になってからだ
からまぁあまり褒めらるほどじゃないけどな」
そういいながら東さんの顔が一瞬曇ったのを俺は見逃さなかった。
お皿にあった最後の一口をゆっくりと口に運び、何かを考えながらじっくりと咀嚼をして
いた東さんは、それをゆくっりと飲み込むと、水の入ったグラスに手をかけ口に含む。
その一連の動作はまるでスローモーションのように、俺の目にはゆっくりと映った。
「川上君さぁ、『死』って考えたことあるかい?」
「えっ?『死』ですか?」
「そう、『死ぬ』ということをさ」
「いやぁ、具体的には・・・」
「そうだよなぁ、当然のことだ。実は俺、過去に2度自殺未遂をしているんだよ」
「えっ、まさか・・・」
「いやほんとうなんだ、こう見えてもね」
まるでいたずら小僧のような大胆不敵な笑みを浮かべて東さんは俺を見つめた。
「借金が20億もあって、債権者から押しかけられるわ、従業員に給料払わなければいけ
ないわ、女房からは愛想つかされるわの八方ふさがりだったんだよ、あの時は。俺には存
在価値がないと思って死を選択したんだ」
「ロープに首をくくって、さあ死のうってときに、ロープの根本に縛っていた柱が折れて
ね、神様が俺を死なせてくれやしなかったんだ」
「そんなことがあったんですね・・・でも・・・」
俺は言葉に詰まり、何も返せなかった。

「理解してくれる人がいるってのはうれしいもんだよなぁ。君も君なりに昔はいろいろ辛
い経験をしてきたことを俺に打ち明けてくれたから話すけど、まぁ一般的には波乱万丈壮
絶人生と言えるかもしれないな、はっはっは・・・」
今の東さんから自殺未遂なんて言葉は想像もできないほど、自信と確信を抱いている堂々
とした雰囲気しかない。
そんな東さんが過去とはいえ自殺を考えるほど追い詰められたことがあるというのだから
、想像を絶する状況であったに違いない。
「東さん、偉そうなこと言える立場じゃないですけど、今の東さんは凄いですよ。立派で
す。自信と気迫にあふれていて・・・過去のことなんて関係ないっすよ。今がすごんだか
ら・・・俺、正直言いますけど東さんに憧れ感じています。俺にないもの、俺にかけてい
るものをしっかりと持っていらっしゃるので・・・とにかくすごいと思います」
まくしたてるように俺は言葉を放った。
早く話さないとその言葉が消えてなくなってしまうような恐怖のような感覚があったのだ

そして東さんに1秒でも早くこの思いを伝えないといけないという焦燥感も感じていた。
「川上君、君とは初めて会ったような気がしないなぁ。前世で一緒だったのかもしれない
な・・・」
東さんのその時の気持ち、そして今の気持ちが何となくわかった。
わかるというより感じるといった方が正解かもしれない。
それが東さんにも伝わったのだろうか・・・
「自分が乗っている客船が沈没するとしたらどうするか?っていうたとえ話がよくあるよ
ね。救命ボートには限られた人数しか乗れないとしたら、建前では女性や子供を優先する
だろうけど、本当にそうだろうか?究極の状態に陥ったときの人間って人を押しのけてで
も自分だけ助かりたいと思うことは当然のことだと思うんだ。その人には『生きたい』と
いう強い願望があるって証拠だからね」
言いたいことが分かった。
自殺を考えたかつての東さんには『生きたい』という意欲がなかったということだ。
いや違う・・・
意欲がなかったのではなく、意欲はきっとあったのだ!
でも償う気持ちと自分を認めないという考えが『死』を選択したということなのだ。
「人が『生きる』という選択はとても尊いものであり、『生きたい』と思うことはとても
大切なことなんだ。そして自分をどう生かすかも非常に重要なことだ!」
東さんの言葉はこれまで聞いた誰よりも重く、そして貫禄があった。
【友の苦悩】
東さんから貰った名刺には「株式会社イースト経営マネジメント 代表取締役 東山照」

と書いてあった。
簡単に言えば東さんの会社は経営コンサルタントであって、パチンコホールのオーナーか
ら委託されて専属でコンサルを行っているということだった。
名刺の裏には経営コンサルタントの他にも「人の人生をサポートするライフビジョンアカ
デミーの主催」など様々な事業が書かれていた。
そんな東さんの一部始終を知ったことで、俺の関係はこの日以来一気に縮まったのは言う
までもない。
東さんであれば自分のすべてをさらけ出してもかまわない、いやむしろ知ってもらいたい
という衝動に駆られていた俺は、自分とは違う世界で生きてきた東さんに対し一種の憧れ
を抱いていた。
「こういった話ってとても貴重でありがたいです。自殺した父とこんな話ができたらいい
なぁという願望を何となく抱いていましたから・・・」
「じゃぁこれからは俺を心の父と思えばいいじゃないか!遺伝的な血のつながりはどうし
ようもないが、心の想いとしてそういう関係を築くことは全く問題ないしね!」
俺はもしかしてこの言葉を東さんの口から聞きたいと思っていたのかもしれない。
それが証拠に俺はこの言葉を聞いた途端に再びこみあげてくるものを感じたからだ。
「ありがとうございます。これからいろいろ教えてくださいっ!」
「喜んで!俺でよかったらな!」
その時の俺はきっと目の前の父親に対し純粋無垢な子供のように、東さんを尊敬のまなざ
しで見ていたに違いない。
それからというもの俺は、パチンコをしにパチンコホールに通うのではなく、東さんに会
いたいがためにホール通いをするという目的に変わっていった。
もちろん東さんと会える時もあれば、会えない時もある。
会えない時は一人パチンコと向き合って大当たりを目指し、会えた時は仕事の邪魔になら
ない程度に東さんとランチをしたり喫茶店で話をした。
何度か夕食に誘われていったのだが、いつも目から鱗のステキな話を東さんはしてくれる

本人はいたって普通に話をしてくれるのだが、先の自殺未遂の時のようにその内容は俺に
とっては衝撃的なことばかりだった。
そんな内容でも東さんは他人事のように楽しそうに笑って話してくれて、最後にそこから
何を学んだかを丁寧に俺に話してくれる。
例えばこんな事だ。彼女との(こんな俺でも彼女がいたのだ)ほんの些細な事でケンカし

た日のランチで東さんに報告したら、パートナーシップについて話をしてくれた。
それはこんな内容だった・・・
東さんは2度の離婚歴があるが、どちらも自分に非があると認めているが当時はそうでは
なかったらしい。
自分のイライラといった感情を奥さんにぶつけ、奥さんはそれに耐えかねたことで離婚に
なったらしいが、その時まで奥さんというものは旦那さんの感情のはけ口になってもある
意味仕方がないし、その役目を担っているものだと考えていたとのことだ。
結婚したことがない俺にはいまいちピンと来なかったが、こうあるべき論で凝り固まって
いた東さんは、奥さんに優しい言葉もかけてやれず仕舞いだったので今となっては詫びた
い気持ちでいっぱいだと言っていた。
その時だけは少々さみし気な感じを初め東さん俺の前に出した。
それがとても切なくて俺は自分に何かできないかと必死で考えたが、結局いい考えは浮か
ばなかった。
そして2度の離婚で学んだことは、人は一人で生きていくことが難しく、助け合っていく
ことが大切だということであると東さんはしみじみと語ってくれた。
「人間ってのは、誰もが成長したいという本能的な願望を持っているんだよ。そしてより
大きな成長をして成果を掴むためには一人では難しいものなんだ。常にとは言わないが時
にはパートナーの存在が必要になるときもある。ただここで言うパートナーとは単なる役
割分担ではなく、存在こそがモチベーションになるような心の関係を持つという意味なん
だよ。つまり協力者である前に理解者であるということ。お互いを理解し合っていれば何
事も割合で分担するのではなく、お互いが得意なところを認め、苦手なところをカバーす
るといった持ちつ持たれつの関係ができる。そこには信頼と確信があるからちょっとした
ことでは揺るがない関係性ができるんだ」
「恋人同士や親友という関係なんてまさしくそれですよね。語らなくても相手の気持ちが
わかるっていうようなことなんでしょうね」
「そう、そう、まさしくそれ!」
東さんは俺の反応がうれしいようで、意気揚々と話を続ける。
「役割分担のためのパートナーだったら、50対50の物理的仕事量ばかりに気を取られ
てしまい、相手を思いやる気持ちがないがしろになってしまうし、仮に仕事ができたとし
ても100の仕事をいかに効率よくこなすかという部分にしか目がいかないけど、信頼関
係のあるパートナーとだったら、タスクの割合は関係なくお互いの特性をどう活かすかと
いう観点に目が向くから、結果的に100ではなく150、200といった成果を出すこ
とになるんだよ」
「伸びている会社やうまくいっている家庭ってのはそういう関係で成り立っているんです
ね」

「そうなんだよ、だからお互いを認めるし感謝もする、そして愛おしくも感じることにな
るんだ」
「結婚はまだですけど、わかる気がします」
彼女の事を考えて、次に会ったら真っ先に謝ろうと思った。
そして次に俺は唯一の親友である前田のことを思い浮かべた。
そういえばあいつどうしているだろうか?
最近の俺は東さんに傾倒してしまっていたので、LINEでやり取りはしているものの前田を
ちょっとほったらかしにして久しく会っていないことに申しわけなさを感じた。
(あいつも俺にとっては大切なパートナーだしな・・・)
そうつぶやくと俺は今晩前田に電話してみようと心に決めた。
久しぶりに聞いた前田の声は、なんとなく元気がないように思えた。
「最近ちょっと疲れ気味なんだよ」
電話の向こうでそう言いながらも、お互い会いたい気持ちが高ぶっているのがわかる。
「今週末にでもまたいつもの居酒屋に集合するか?」
「プロから誘うなんて珍しい・・・お前からの貴重なお誘いに断るなんてできねーから、
もち行くわ」
前田は嬉しそうだ、そしてもちろん俺も嬉しい。
「リツの都合のいい時間でいいよ。俺はどうにでもなるから」
律太だからリツと呼んでいるが、あまりにも平凡だなぁと思った。
(もし一緒にお笑いコンビでも組んだらどんな愛称にすればいいのだろうか?)
そんなことをぼんやりと考えながらも、明後日の週末夜7時に会うことになった。
久しぶりに会えることと、会社を辞めてから全く埋まることのないスケジュールに予定が
入ったことのうれしさもあって、小躍りしたい気分になった。
そして東さん同様に、リツも俺にとっては大切なパートナーであることも、その喜びに拍
車をかけた。
週末金曜日の夜7時、いつもの居酒屋のいつものカウンター席、テーブル席が満席でもこ
のカウンター席はだいたい空いている。
と言ってもそんなに頻繁には来ないのだが・・・
見覚えのある社章をつけたスーツ姿のリツを見つけた俺は、久しぶりに実家に帰ってきた

ような気分になった。
「よう!」
「おう!」
リツのいつものあいさつに俺は応える。
「なんかプロ、会社辞めてからいい感じになってきたなぁ」
「どこが?」
何を言い出すのかと思いきや、リツの目にはそう映っているらしい。
「まぁ自由を満喫しているし、縛られるものもないからなぁ・・・」
「それもそうだけど、この間プロがLINEで言っていた『スゲー』って人との出会いが影響
が大きいと俺は踏んでいるんだが、違うかい?」
「うん、それはある。いや、間違いなくその通りだ!さすがはリツ、お見通しだなぁ」
「そのスゲー人の話、今日はじっくり聞かせてもらうぜ」
「オーケー!その前に何飲む?とりあえず・・・」
俺の質問に答えるどころか、向こう側にいた店員を捕まえて「ビールジョッキ、大を2つ
」とすでにオーダーしているリツの背中を俺はほほえましく眺めた。
(やはりこいつは俺にとって大切な親友であり信頼できるパートナーだ)
この日俺はリツに、東さんとの出会いから、これまで話をした内容、そして学んだことを
ひとつひとつ説明していった。
もちろん東さんのセンシティブな内容も、以前東さんにリツの存在を話した時に「いずれ
ご紹介します」と言った時に、自分のことをリツに話してもいいという承諾を東さんから
もらっていたこともあって、安心してリツに話ができた。
リツは言葉少なめに俺に話を真剣に聞いていた。
時折「へぇー」とか「ふ~ん」という相槌はいれるものの、基本的には聞き手に徹してい
た。
一通り話し終えたところで俺はリツに聞いてみた。
「ところでリツさぁ、さっきっからじっと聞いているけど、実はこんな話あまり興味ない
んじゃないのかい?」
ちょっと疲れ気味のリツからすれば自分の話しを先に聞いてほしいと思っていたのではな
いだろうかと心配になった。

ビールを一口飲んでから、少々赤らんだ顔でリツは俺に身体を向けて言った。
「そんなことはないよ。むしろ楽しんで聞いているよ」
「楽しい・・・のか?」
「もち、楽しいさ。だってプロがイキイキと話している姿を見るのは実に楽しいし、気分
がいい。お前を通して俺も東さんと会っているようなイメージがするから、東さんの姿が
結構リアルに想像できるんだよなぁ」
「へぇ~」
そっけない返事をした俺だったが、リツの言葉はとてもうれしかった。
そしてリツは続ける。
「プロはやはり会社辞めて正解だったな。今お前は人生をしっかりと生きてるって感じが
する。誰にも邪魔されず、本当の自分自身でしっかりと歩んでるって感じが、今日あった
ときすぐにわかったよ。今はパチプロ生活で見方によっちゃあニートと変わらないのかも
しれないけど、それだって別に悪いことじゃないし、今後の人生に絶対役に立つはずだか
らな」
「ありがとう、リツ。お前はおれの数少ない理解者だよ」
「なんだよ、改まって・・・飲みが足りないんじゃないのか?」
そういって俺たちは再びビールを注文し今日二度目の乾杯をした。
それは二人の永遠の友情に対しての乾杯だ。
二度目の乾杯を済ませると、まるで攻守入れ替わったように、リツは途端によくしゃべる
ようになった。
会社勤めという現実になんの夢も希望も見いだせなくなってきたこと、人生を考えるとこ
のままでいいのかという自問自答を繰り返す毎日であること、そして自分が何をしたいの
か何に向いているのかが全く分からないこと、そんなことを話してくれた。
俺と違ってリツは仕事もできるし人とのコミュニケーションだってうまい。
そんなリツでさえも悩ます現代社会っていったい何なのだろうと、俺はぼんやりと考えた

(先進国とかいってもそれは資本主義という幻に魂を売った抜け殻の集まりなのかもしれ
ない・・・)
「でもリツは仕事もできるし会社から認められているんだから、やっぱ凄いよ。俺なんか
認められたことなんか一度もないんだぜ」
今だから笑い飛ばして言えるが、当時が本当にきつかったことは細胞レベルにまで刻まれ

ている。
「そうじゃないんだよ。下手に認められちゃうと、次々と求められるレベルが上がってい
くんだ。そして俺もそれにこたえなくちゃいけないっていう強迫観念みたいなものが生ま
れてきて、イタチごっごになってしまっているんだよ」
「・・・」
返す言葉が見つからない。
「だからプロのように仕事ができなくて認められない方が見切りもつけられて次の行動に
移せるからかえってそっちの方が幸せなんだよ。現実に今の俺とお前では、はるかにプロ
の方が人生を満喫しているし、充実感があるじゃないか!」
「仕事ができないってのは聞き捨てならないけど・・・まぁそりゃそうかもな・・・確か
に俺は仕事もできず会社にいられなくなったから仕方なく今のような生活をせざるを得な
かったけど、今となっては東さんとも出会えたし、確かに毎日学ぶことが多いよ。パチプ
ロ生活の現状でもそう思う」
「それだよそれ。何も会社勤めが偉いわけでも何でもないんだ。ただの世間体だろ。人生
ってのはいかに自分らしく、そして楽しく成長していくかってことじゃないか。それが今
できていないんだよ俺は・・・」
俺は東さんと初めてランチに誘われて一緒に行ったときに話してくれた『幸せの4要素』
のことを思い浮かべた。
幸せの4要素は「経済」「家族」「健康」「自己実現」の4つであり、これらのどれが欠
けてもいけダメだし、1つだけ飛びぬけててもいいわけではない。
4つがバランス良く持てることがで初めて人は幸せを感じると東さんは話してくれた。
(今のリツには「自己実現」がないんだなぁ・・・)
「リツさぁ、何で俺がパチンコをしてるかわかるかい?」
「えぇ?」
そんな質問は想定外とでも言いたげな表情で俺を見つめるリツは、これまで一度も見たこ
とのない複雑な表情をしていた。
「勝つか負けるかわからないパチンコなんかをさぁ、ずっと同じ姿勢でタバコの煙とうる
さい音の中で健康にだって決していいとは言えない環境に、それでも毎日毎日パチンコに
通う理由って何だと思う」
「ごめん・・・わからん」
「ぷっ!別に謝らなくたっていいじゃん。謝ることなんて何もないぜ。」
リツは本当に困ったような顔をしているのがかえって滑稽に思えた。

「パチンコで生活費を賄っているんだからパチプロって言っていいと思うんだけど、俺は
会社を辞めた時に何となくパチンコを再び始めた時に、パチプロになってこれで生活して
いくしか方法がなかったから、そのとき覚悟を決めたんだ。絶対に言い訳はしないってね

「うん・・・」
リツの頷きは何となく俺に圧倒されているような感じがした。
「多くのリターンを取りたいけれどリスクを取るのが怖いから、現状維持を望むという人
は多い。そして勇気を出してリスクを取ったもののリターンを得れずに失敗するときだっ
てある。そんな時って失敗の原因を周りのせいにしちゃう傾向が人にはあるんだけど、そ
れが言い訳だってことを学んだんだ。つまり俺の場合は勇気を出して会社を辞めたけれど
、次に選んだパチプロとしても上手く行かなかった場合、それを辞めた会社のせいにしち
ゃうようなことは絶対にしないっていうことを心に誓ったってことなんだ。言い換えれば
自分の選択に責任を持つ覚悟ができたってことなんだ」
なんだか自分ではない自分が話しているようで、ちょっと違和感を感じたのは東さんの言
った言葉をそのまま話しているためだろうと思い、恥ずかしさを感じた。
「まぁこれってのも例のスゲー人からの受け売りなんだけどね・・・へへっ」
俺は自虐的に言ったつもりだったのだが、リツにはそう映らなかったようだ。
「確かにその東山さんって人は凄いと思うけど、プロ自身が会社を辞めて大きく成長した
んだと俺は思う。覚悟とか責任とかって言葉をお前は自然に使いこなせているんだぜ!そ
れは女からすれば『チョー男らしい』ってことになるんだよ」
「そんな気配まったくないけどなぁ・・・」
「お前は間違いなく今自分の足で人生を歩んでいると思うよ。俺はそれが心底うらやまし
いと思っている。そしてそんなお前という友人がいることを誇りに思うよ」
「照れくさいからやめろよ・・・」
もしリツの言うように、俺が本当に成長しているのであればその増えた分を俺はリツに分
けてあげたいという気持ちになっていた。

フィーバー税理士 3年ぶりの再会

【3年ぶりの再会】

 

いつの間にか俺の年齢が28歳になっていたと気が付いたとき、ゾッとした。

 

時間の経過は誰に対しても平等というけれど、あれは嘘だ!

俺のように人生の挫折を経験した者にとっては、辛い時にはゆっくりと、そしてなんでもない時には恐ろしく早く時を刻んでいくようにできているものらしい。

 

あれ以来前田とはLINEでやり取りする間柄になり、お互いの心境や考えを率直に伝え合った。

時にはメールで、時には電話で、そしてたまにまたあの居酒屋で酒を酌み交わしながら前田との時間を共有することで、前田は俺にとって唯一の親友と言える存在になった。

 

会社を辞めてからの俺は再びパチンコ通いの生活に戻っていた。

 

家賃補助もでなくなった今、学生時代のように生活費を賄うのはパチンコになっていったことは、俺にとって自然なことであったように思う。

 

28歳にもなって、会社勤めもろくにできず、パチンコで生活をしているなんて・・・

 

世間の一般常識に照らせば、今の俺は完全に常識外れの不良品だ。

 

でもそんな俺を認めてくれる奴もいる・・・それが前田だ。

 

「今のプロは、会社にいたころのプロと違ってすっかり自分自身を取り戻しているぜ!俺にはそれがよくわかる。それに引き換え俺はこのざまだ・・・」

 

いつの間にか前田は、子供のころのあだ名で俺を呼ぶようになっていた。

そんな些細なことが俺にはうれしかった。

 

「パチンコ生活って最高じゃん!アホな上司もいないし、理不尽な仕事もする必要もないだろ、それに何からも縛られていないっていうのがいいな・・・お前がうらやましいよ」

 

「お前だってこのざまって言うけど、お前はお前らしいよ、ずっと前から。そんなお前に俺は憧れていたしなぁ・・・」

 

「やめてくれよ!俺はそっちの気はまったくないからな、はっはっは(笑)」

 

二人で大笑いするととても気持ちがいい・・・この時間が俺はとても好きだった。



パチンコ生活は比較的順調だった。

 

パチンコを能力と言っていいものかわからないが、こうして今生活ができるということに俺は感謝したい気持ちになっている。

 

そこには前田も大きく影響しているし、死んだ親父も絡んでいるように思う。

 

パチンコに行くとき、いつも不思議と台につく前になると一瞬俺の頭に前田と親父の顔がよぎるのだ。

 

そんな時は決まって勝つので、いつしか毎回、というか毎日、俺はアパートを出るとき、そして店に入るときは決まってこの二人のことを頭に浮かべるようになっていた。

 

この二人が俺のパチンコ生活を支えている原動力だと感じていたからだ。

 

そして今日もこのゲン担ぎが功を奏していた。

 

早速引き当てた大当たりは「777」の確変だった。

 

(幸先いいなぁ、前田、親父、ありがとな)

 

心の中でそう唱えていると、背後に視線を感じた。

 

その感覚は何となく記憶のあるものだった。



今日の大当たりはいい感じだ。

確変「777」に続いて再び「555」で確変が連チャンできた。

初っ端から調子がいい。

 

最近の俺は自分でいうのもなんだが、冴えわたっていると感じることが多い。

 

会社を辞めて、さぁこれからどうしようと、と思いながらパチンコに再び足を向けた俺は、生活していくためという状況だったからか、それともどこにも所属せず何からにも縛られないという自由がそうさせたのか、高設定台を見分ける力が日増しに増しているのだ。

 

高設定台でも、すぐに大当たりが出るというわけでもない。

ある程度呑まれないと爆発してくれない。

 

しかも昔のように釘を見てよく入る台を選ぶということも難しくなってきた今は、前日、前々日といった過去のデータからホール側の設定を読み取るといういわば心理戦のような感じになっている。

 

それが俺にはあっていたのだろう、時短モード中に再び確変が来たのを見ていると、この台はまだまだ出そうな気配がする。

 

そんな時に感じた背後の視線は、以前どこかで感じたことのある気配であり、懐かしさを抱かせた。

 

振り向いてみたが、開店早々ということもあってざわついた店内ではみな自分のことしか考えていないようで、俺に視線を向けている人など確認できなかった。

 

(まぁ早々に大当たりを引き出したから台の位置と上部にあるデータ情報でも覗き込んだ

人がいたのだろうな)

 

ぼんやりとそんなことを考えつつも俺は手元のドル箱がいっぱいになったため「コール」ボタンを押して店員を呼び出した。

 

にこやかな笑顔とともにかすかな香水をともなってホールレディがいっぱいになったドル箱を足元に置き、新たな空のドル箱を俺の前にセットしてくれる。

ほどなくまたこのドル箱もいっぱいになるのが見えているのだから、またコールした時にこの娘が来てくれたらいいなぁ・・・と思いつつ俺はハンドルを握っていた。

 

午前中でドル箱がすでに10箱以上積みあがっているのを満足げに眺めながら、休憩を兼ねて俺はトイレに向かった。

 

大当たりをしている時の休憩ほど安心感を与えてくれるものはない。

 

勝っているという心の余裕と用を足した時の解放感が重なると、季節に関係なく充実した身震いを起こしてしまうのは俺だけなのだろうか・・・?

 

そんなことを考えながら手を洗っていると、背後に一人の男性が入ってきたのが分かった。

 

男性はまっすぐに用を足しに行くが、鏡越しにその人をちらっと見た時に、俺の記憶の倉庫の扉が開いた。

 

(あれっ?どこかで見たことがある人かも・・・誰だ?)

 

パチンコに通っているといつも見かける面々がいる。

 

それは店ごとにほぼ決まっていて、彼らも自分と同じようにパチンコで生活をしている人だったり、暇を持て余している人など、それぞれの目的と事情を抱えて、決まった時間に姿を見せるのだ。

 

でも今背後に通った男性はその類いではないことは確信をもって言える。

 

(誰だっけ・・・?まぁいいっか)

 

俺は乾燥機ですっかり水分が落ちた手を抜き取ると、トイレのドアに向かいざま用を対している男性の方に一瞬だけ目を向けて見てみた。

 

その視線を感じたのか、男性用便器に身体を密着させていたその人もこちらを見たのだ!

気まずさを感じたのはほんの一瞬だけで、その直後に俺はハッとなった!

 

「あっ!」

 

思わず声を上げてしまった俺は後悔したものの、発した声を取り消すことができない現実に恥ずかしさを感じた。

 

「おっ、きみぃ・・・」

 

男性も俺を認識したようだった。

 

「久しぶりだなぁ、しばらく見なかったけど・・・」

 

こちらに向かってきて手を伸ばせば届くほどの距離で俺に声をかけてきた。

 

そう、この人はかつて学生時代に俺がこのパチンコホールで見かけてちょっと会話したことがある人だ。

 

あの時と全く変わっていない、いやむしろ精悍な雰囲気が増し、男らしさというか出来るビジネスマンというオーラとただ者ではないという品格をまとっていた。

 

「ご無沙汰です・・・」

 

消え入るような声の俺は、照れくささと恥ずかしさと元来の人嫌いが相まって相手を直視することができなかった。

 

「ここで再び会えたのも偶然だなぁ、昼メシまだだろう?一緒にこれから食わないかい?」

 

「あっ、は、はいっ・・・でも俺今大当たり引き出しちゃって・・・・」

 

「あぁ、そのようだね、627番台だったよな、確か・・・じゃぁ『昼食中』の札つけさせておけばいいじゃん」

 

(なんなんだこの人は!俺の台を知っているし・・・もしやパチプロ集団のボスなのか?!)

 

ちょっとした恐怖を感じながらも、その人のことが知りたいという好奇心も相まって俺は先に歩いてトイレを出ていくその男性の背後に続いたのだった。



トイレから出た俺は、先に出て行ったあの男性が俺のお気に入りのホールレディの女の子と何やら話しているのが視界に飛び込んできた。

 

片側の耳のイヤホンを気にしながら目の前の男性の話を一語一句聞き逃すまいとしているような二人の姿は、まるでかつて俺が務めていた人材派遣会社の上司が女性従業に指示を出している姿を彷彿とさせるものがあった。

 

お気に入りのホールレディは、男性の話を聞き終えると機敏に向きを変えて小走りに行ってしまった。

 

彼女の優しい香水の残り香を感じながら、俺はその方向に目を向けると、俺の売っている627番台に「ただいま昼食中」の札をセットしているのが見えた。

 

「はぁ・・・」

 

我ながら間抜けな声を出しながら男性の方に目を向けると、にこやかにこちらを見ながら「カモン」という手のジェスチャーを俺に放つのを見て「シブいなぁ!」と思わず感心してしまった。



ホールをいったん出ると、同じ敷地内に食堂レストランが併設されている方へ向かっているので、てっきりそこへ入るのかと思いきや、そこを通り過ぎて表のバス通りに出て行った。

 

ちょっと意外な展開に俺は戸惑いながらも男性の後を追った。

なんせこのオッサン、俺よりも背が低いのに歩くのが異様に早いのだ。

しかもその足取りは素人が見てもどっしりと安定していることからも、自信がみなぎっている感じがする。

 

(そうだ!3年前に会ったときも『なんなんだ、このオッサンは?』と思ったんだった)

 

一つを思い出すとそれに連、当時の感覚の記憶もどんどんと呼び覚まされていく。

 

オッサンは迷うことなくスタスタと歩き、横断歩道がある交差点の手前でなんと道を渡りだしたのだ。

 

バスも通り交通量も多いこの道は片側3車線もあるにもかかわらず躊躇なくにこやかに手を挙げて渡っていくオッサンの姿は、まるで「世の中はこの俺の思い通りになるのさ」と言っているかのように見えた。

 

ちょっとのタイミングで通りを渡り損ねて取り残された俺を、まるで子供を見る親のような目でにこやかに笑いながら反対車線のオッサンは、すぐそばのおしゃれな外観の洋風レストランを指さしている。

 

(ここに先に入って待ってるぞ!)

 

そう言っているのは明らかだった。

 

途切れることのない目の前の車の音でオッサンの声は聞こえるはずもないのに、俺はその男性の放つ心の声がまるでテレパシーのようにはっきりと受け取ることができたのだ。

 

大型トラックやバスが通過した一瞬の合間に、オッサンの姿はもうすでにそこにはなかった。

 

見えたのは、オッサンがたった今開けたであろう洋風レストランの入り口ドアがゆっくりと閉まる残像だけだった。

 

1人取り残された俺には、車が途切れて向こう側へ渡れるようなタイミングはそのあと訪れず、結局交差点まで行って横断歩道を渡ったのだ。

 

「道路の横断」というパチンコは、オッサンに大当たりが来て俺には来なかった、なんてことを考えながら俺はオッサンの待つレストランに急いで走っていった。

フィーバー税理士

【始まり】



時計の針は間もなく午後11時を指そうとしている・・・

居酒屋の店内は、まるで日中のような賑やかな喧騒を放っている。

 

「お待たせしました!」

 

威勢のいい声で女の店員が、泡をジョッキから垂らしながら頼んだビールを運んできた。

 

かんぱ~い!!

 

そう言うと俺はビールジョッキを右手に持ち、一気に麦の香りを流し込んだ。

ビールジョッキはちょっと重く感じたが、今日は心地よい重さだ。

 

丸一日パチンコを打っていると、右腕が痛くなることがある。

玉を発射させるハンドルを押さえていなければならないためだ。

 

負けた日などはその痛みを強く感じるし、それが大負けであれば自分の腕ではないような感じさえするときもある。

 

でも今日は右手に持ったビールジョッキの重さがとても心地よい。

そう、今日は勝ったからだ。

 

だから今日は「かんぱ~い!!」はではなく「完勝!!」と言わなければならない・・・

そんなことを考えながら俺はほくそ笑むように、ズボンのポケットに入っている膨らんだ財布を左手で撫でた。



俺の名前は川上玄人。

「くろうと」ではなく「くろと」と読むのだが、この名前なので昔からあだ名は「プロ」と呼ばれている。

 

どうしてこんな名前にしたのか?

物心のついたころ親に聞いたことがあったが、聞いたタイミングが悪かったのであろう、父も母もお互い憮然とした顔で俺を見た。

 

俺にとってその時の二人の視線が余りにも意外だったので、それ以来俺はこの質問を封印しており、本当のところ名前に込めた想いは今でも知らない。

 

父親が医者で母親が教師だったので今思えば、その道のプロになって欲しい、おおかたそんなところで命名したのであろう。

 

そんなこと、どうでもいいや・・・

 

両親に対する反発心からなのか、俺はいつもあの目を思い出したあとに必ずと言っていいほどこの言葉をつぶやく。



そんな俺の幼少期は、傍から見たら誰もが羨む生活だったのかもしれない・・・

あくまでも外見上は。

 

医者の父と教師の母の間に、次男として生を受けた俺は、神戸の高級住宅街で子供時代を過ごした。

 

さいころから様々な英才教育を受けてきたことで、学校の成績はとにかく良かった。

 

その分、スポーツが苦手な上に引っ込み思案で恥ずかしがり屋なため人前でまともに話すことが出来ず、コミュニケーションに大きな問題を抱えていた。

 

しかし3つ上の兄がとても優しくて温和な性格であったため、子供の頃の俺は兄によって救われていたといっても過言ではない。

 

医者の父は100キロ級の体重で太っていたが、医者という肩書がかえってそれを威厳という貫録に変えていたことで、近寄りがたい存在であった。

寡黙で読書好きな父は、俺や家族には興味がないらしく、常に険しい顔をして何かを考えている様子は子供の目から見ても明らかだった。

 

一方の母親は教師という職業柄か、典型的な教育ママでありお節介であった。

子供のことで常に頭を悩ませていて、学校の成績は良くて当たり前という考えだったので、小さいころから俺は母親に認められることが絶対条件となっていた。

 

俺の傍には兄がいて、その向こうに両親がいる、そんな家族環境の中で幼少期を過ごした俺は、良い成績を引っ提げて順調に進み、やがて有名私立高から難関大学へと進学していった。

 

傍から見れば、ここまでは非常に順風満帆な人生といえるかもしれない。

 

でもこのあと、その後の人生に大きく影響する経験をしていくことになる・・・






大学に合格した俺は、そこが世間一般で言う「難関大学」であったからか、それとも典型的な教育ママであった母親の期待に応えることが出来たという安堵からか、そこで人生の目的を果たしたような気分になっていた。

 

大学生活は楽しい日々であった。

 

人生で味わう、本当の意味での‘楽しさ’とはこの時が初めてだったかもしれない。

 

それまでは親元で常に両親の目を意識した生活であったので、そこから解放され真の自由を得たがごとく、俺は自由を満喫した。

 

勉強に励むというよりも楽しむための時間に励む、という生活は俺に多くの楽しみをもたらした。

 

友人、音楽、コンパ、酒・・・そしてパチンコ。

 

中でもパチンコはとても刺激的なものだった。

 

はじめて友人に誘われてパチンコに行った時の感動は今でも忘れられない。

 

この世にこんなにも楽しいものがあったなんて・・・

 

それまでの俺は、パチンコについて何の知識も縁もなかった。

 

仲のいい友人と隣同士で座り、初めての俺は何をどうしていいのかわからず、彼から手ほどきを受けた。

 

はじめて座ったパチンコの台は「海物語」というものだった。

 

なにやらゲームに出てきそうなアニメキャラがいるし、何となく子供っぽいデザインという印象を受けた。

 

お金の投入の仕方、玉の狙い場所、確変や激アツリーチといった言葉も、この時初めて耳にしたものだった。

 

一通りの友人の講義が終わると、早速に彼はハンドルを握って玉を打ちだした。

 

恐らく早くやりたくて仕方がなかったのだろう。

 

その眼はまるで獲物を狙う狼のようにランランと輝いていて、隣で不思議そうに見つめる俺の視線に全く気づく様子がない。

 

彼に習った通り、俺も1000円札を1枚投入し替玉ボタンとやらを押して玉を打ち始めた。

 

ジャラジャラジャラ・・・

 

機械的な音とともに手前の空間に、銀色の玉が埋め尽くされていく。

 

早速ハンドルをひねって玉をはじいてみると、強すぎたのか、弧を描くように大きく右周りに一周して、一番下にある穴に吸い込まれていった。

 

「この釘とこの釘の間を狙うんだ」といった友人のアドバイスを思い出し、手元をうまく調整して玉の動きを整えた俺は、その感覚を右手に叩き込んだ。

 

チェッカーに玉が入るとけたたましいい音とライトが、これでもかというほどその存在をアピールするが、回転が終わると、まるで死んだかのようにその息をひそめるその格差に、俺は思わず笑ってしまった。

 

思わせぶりなリーチモードも何回か経験し、一通り動かしてみてパチンコの仕組みが理解できた。

 

(なるほど・・・こうやるのか!)

 

わずかな時間で、俺はすでにパチンコの遊び方をマスターした気分になっていた。

 

(勉強もそうだしゲームもそう、パチンコも基本がわかれば何とかなるなぁ・・・)

 

投入した1000円は替玉ボタンを押すと500円分の玉が台の受け皿に出てくるのだが、間もなく最初の500円分の玉が無くなりそうだ。



他人よりも呑み込みが早いという自負のある俺は、そんなことを頭の中でつぶやきながら、無くなりかけた玉の補充のために、残り500円分の替玉ボタンに手をかけようと準備していた。

 

その時、中央のディスプレイには何やら魚の大群が出現し、全体を覆いつくしたのだ。

 

「おおっ、来たな!」

 

友人はそう言うと隣から覗き込んでにっこりとほほ笑んでこう続けた。

 

「でもダマしの可能性もあるからな」

「それはもう既に経験済みさ」

 

俺はそういいかえしてやった。

 

しかしそれがダマしではなかったのだ。






魚群リーチと呼ばれるそれは、右から左に流れていく。

まさに水中の小魚たちが群れをなして、

テレビで良く見るあの光景のようだ。

 

俺は視点をどこに定めればいいのかわからず、

ただ激しく動くディスプレイを見つめ、

右手は発射台のハンドルレバーをきつく握っていた。

 

魚群の前には「7」と「8」の魚が交差するように上下に静止していて、

その間の中央部分の列だけが動いている。

 

スマホで昔流行ったスロットマシーンのゲームを彷彿とさせるものだ、

なんてことを思いながら、俺は最後の一列が揃うのをただじっと待っていた。

 

一瞬・・・

時間が止まったかのように、音も、光も、そしてディスプレイの画像も止み、

俺の台だけが静寂に包まれた。

 

次の瞬間、最後に残っていた真ん中の列が「7」の魚のところでピタリと静止した。

 

そして再び止まっていた時間が再び動き出した。

 

電飾とけたたましい音は先ほどよりも大きくなっているようだ。

 

「マジかよ・・・すげぇ・・・」

 

隣りの友人が、明らかに先ほどとは違う目で俺を見つめている。

 

その眼には尊敬、憧憬、羨望・・・様々な感情が見て取れた。

 

「ダマしじゃなかったようだぜ!」

 

俺はちょっと得意げになって言い返してやった。



人生初めてのパチンコは、

たった500円で大当たりを引き出した。

 

その後大当たりは止まることなく連チャンが続き、

羨ましがる友人を尻目に、俺の足元には何箱ものドル箱が積み上がっていった。

 

(これを換金したらいったいいくらになるのだろうか・・・)

 

そんなことを考えているうちに、ようやく友人の方にも当たりが来た。

 

「昨日はハマっていた台だからな、でもやっと来やがった・・・さぁここから取り返すぞぉ!」

 

そういうと二人で目を合わせお互いにニッコリほほ笑んだ。

 

自分ばかりが大当たりを引き出しておきながら、

パチンコを紹介してくれた友人が一向にその気配がないことに、

申し訳なさとともに若干の気後れを俺は感じていた。

 

(でもこればっかりはギャンブルだし、時の運ってもののあるしなぁ・・・)

 

そんなことを考えながら、

ちょっと余裕が出てきた俺はスマホを取り出して、

人生初めての大当たりをツイートでもしようかと思ったものの、友人がいつの間にかイヤホンを繋げて音楽を聴いていたので、俺もそれに倣うことにした。

 

それにパチンコホールというところが、こんなにも音のうるさいところだろ言うことを、

いまさらながら気が付いたからだ。

 

最初入った時は、入り口で立っていたちょっと可愛らしいホールレディに目を奪われてしまったので音のうるささはさほど気にならなかったもの、時間が経過するとその音量に改めて驚かされる。

 

イヤホンから流れてくる乃木坂46は、最近聴いている俺の定番だ。

 

これを聞いていると何となく落ち着いてくるし、元気が出てくる。

 

(もうそろそろ連チャンの大当たりも止まる頃だろうか?)

 

そんなことを考えながら、まだいくらになるのか皆目見当がつかない足元に高く積み上げられたドル箱をチラッと眺めながらも背後に人の気配を感じた。

 

振り返るとそこには乃木坂46で踊っていそうな、かわいらしいコーヒーレディがコーヒーの案内札を差し出して俺に向かってニッコリとほほ笑んでいる。

 

慌てて俺は片方のイヤホンを外し、馬鹿みたいに会釈してしまった。

 

そんな俺を見てニッコリとほほ笑んだコーヒーレディから、席を立つことなく手元にあるパチンコ玉でコーヒーが買えることを知って「なんて合理的なシステムなんだ!」と感動してしまった。

 

ちょっとしたお礼のつもりで友人の分のコーヒーも、俺の手元にあるあふれんばかりの銀色の玉で買ってやった。

 

それでもほとんど減った感じがしない。

 

それどころか目の前の液晶画面は、相変わらずまわり続け、再び大当たりを量産し続けている。

 

この後、俺と友人の出玉の数に大きな差が開くことになるのだ。







鳴りやまない俺の台とは対照的に、隣に座る友人の台は一度当たりが来たものの、それ以降は鳴りを潜めているようだ。

 

二人とも耳にイヤホンをして、コーヒーをすすりながら目の前の液晶画面を注視しているので、お互いを意識することはない。

 

スマホの時計を見るともう午後の2時近くになっている。

 

ホールに来たのが朝10時前だったので、昼飯も食べずにお互い集中していることに気が付いた。

 

(パチンコしている時ってこんなにも集中できるものなんだなぁ・・・)

 

俺は家でゲームをしている時と同じような感覚に襲われ、そして思った。

 

(ゲームはゲームで面白いけどパチンコの方が稼げる分、こっちの方がいいじゃん!)

 

足元に積み上げられたドル箱の山は、すでに11箱になっている。

 

コーヒーを頼んだ時のちょっとした合間に、友人から聞いた話によると1箱がだいたい5000円前後になるといっていた。

 

となると・・・

 

そう、俺はわずか1000円ほどの投資したお金が、既に55000円ほどになっているということではないか!

 

(パチンコってすげぇーじゃん!)

 

心の中で俺はガッツポーズをした。

 

そしてゲームなんかよりもはるかに実利があって、ゲーム並み、いやそれ以上に面白いということに気が付いたのだった。

 

隣りの友人は、最初に出したドル箱の玉もすでに使い果たしたようで、そういえば台の上部にあるお札投入口に福沢諭吉を指し込んでいたことを思い出した。

 

(あいつ一万円もつっこんだんだのか・・・ちょっと申し訳ないなぁ・・・)

 

そんなことを考えつつも、再び俺の目の前には魚群が出現したのだった。



こうして俺たち二人は、結局夜の7時過ぎまでパチンコホールで過ごしたのだった。

 

そして最終結果は、俺が合計21箱で10万ちょっとの現金を得て、友人は結局3万円の負けとなった。

 

パチンコホールを後にした俺たちは、近くの居酒屋に移動した。

 

昼飯もろくに食べずにパチンコに集中していた俺は、激しい空腹を感じていたのだった。

 

それに引き替え友人の方は、昼抜きでありながらも対して空腹は感じていない様子だった。

 

それもそのはずだろう、パチンコが初めての人間を連れて行って手ほどきをしてあげたのに、自分は大負けし、手ほどきをしてあげた方が大勝したのだから・・・

 

思わぬ臨時収入を得た俺は、彼への感謝と自分への祝福を込めて、俺の方から居酒屋に誘ったのだ。

 

もちろんそこの御代は全て俺が持つという条件で。

 

浮かぬ顔だった友人も、アルコールが入り食事を口にすると徐々にいつもの彼に戻ってきた。

 

「いやぁ参ったよ、ほんとに今日は・・・お前があんなに大勝するとは思ってもみなかった!」

 

「俺だってこんな結果になるなんて想像もしてなかったさ、お前には悪い気もするが、今日のことは感謝してるぜ!」

 

「まあいいさ、今日は負けたけど今月はおれ通算でまだ結構勝ってるんだよなぁ」

 

「勝ってるってどのくらい?」

 

個人のお金のことに首を突っ込むのにちょっと気が引けたが、パチンコにすっかり興味が湧いてきた俺は身を乗り出して聞いた。

 

「まぁだいたい10万ちょいってとこさ」

 

(月が始まって今日で12日、月の半分までも経っていないのに10万の収支・・・)

 

俺の頭の中のカリキュレーターが、まるでパチンコの液晶ルーレットのように激しく回転した。

 

友人はほぼ毎日のようにパチンコをしているということは知っていたが、こんなに儲けているなんてことは一切知らなかった。

 

大学生の身分である我々にとって、パチンコで利益を出すなんてちょっとおこがましい感じがしたのだが、それも一瞬のことであって、俺はこの時パチンコで生計を立てられるんじゃないかと、皮算用をしていたのだった。

 

そのためその日はいくら飲んでも酔うことが無かった。

 

俺のパチンコ人生の幕があがった瞬間だった。





【出会い】

 

俺のパチンコ人生の始まりは、劇的な大勝利で幕を開けたことで、

それまでの大学生活が一変した。

 

それまでの引っ込み思案で内気な性格や、人との付き合いが下手でコミュニケーションが苦手な自分と決別しようと、大学入学当初はテニス同好会や軽音サークルに所属して、人との触れ合いを求めた。

 

しかし人間の性格というか気質は、そう簡単に変わるものではないということが分かった。

 

というのも、積極的に活動に参加したものの、表面上は楽しい気分を感じているにもかかわらず、心の奥底の感情はやはりそれを拒絶していたように思う。

 

徐々にそういった活動からも足が遠のいていったものの、それでも入学して知り合った何人かの友人が出来たというだけで、俺にとっては財産のように感じた。

 

そんな中の一人が俺にパチンコを教えてくれたのだ。

 

人生初めてのパチンコに連れて行ってもらい、そして確変の連チャンを経験してその魅力を味わった俺は、いつしかその道へとのめり込んでいき、気が付けばパチンコで生計を立てるほどになっていった。



大学生活は、ご多分に漏れず俺も親の仕送りで生活をしていた。

 

そりゃそうだろう、教育ママの母親の希望通りの大学へ進学したのだから。

 

しかしその仕送りに頼った生活ではなく、パチンコで仕送り以上のお金を毎月稼げるようになって行く自分がいたことで、俺はまるで自分自身がいっぱしの大人となって独立し、成長しているかのような気になっていたのだ。



(おれは自立している!それは俺の実力であり才能だ!だから俺は自由なのだ!)

 

その時の俺の体内には、こんな考えが蔓延していた。

 

パチンコ中心の大学生活になったことで、勝つときもあれば負ける時もあるものの、総じてプラスの収支を記録していたことも、俺の自信を強固なものにしていった。

 

友人と行った人生初めてのパチンコで大当たりを決めた店は、自分との相性のいい店としてその後の俺の活動拠点になっていき、一方で新台の入替情報や新規オープンの店舗情報が入れば、確変の連チャンフィーバーを求めて開店前から朝イチで並んだ。



自宅とパチンコホールを行き来する毎日を過ごしていたある日、いつもの店に行き台を物色していると、一人の男性と目があった。

 

最近ちょこちょこ見かける顔の、その人は特にパチンコを打つこともせず、店内をうろうろ回っているかと思えば、一か所でじっと佇んでいることもある。

 

(怪しい人だなぁ・・・)

 

何となくそんな印象を持っていた俺だが、パチンコホールには様々な人種の人が出入りすることもあり、特に気には留めなかった。

 

しかしその人物こそが、その後の俺の人生に多大な影響を与えることになるとは、その時全くもって思いもしなかった。




大学生活も2年目に入ると、すべてにおいて慣れが出てきて、1年目に感じた感覚とは違うということを知った。

 

大学の授業も教授陣によって教え方や試験対策にも特徴があって、それさえつかめば単位を取るということも意外と簡単だった。

元来の要領の良さと、勉強にも通ずる基礎把握の応用だと思った俺は「我ながら頭いいじゃん!」と自分に感心した。

それでも出席の有無だけはどうにもならなかったが・・・

 

サークル活動にも変化が訪れた。

最初のうちはこれまでの自分を変えようという目的で加わったものの、徐々に足が遠のき“幽霊部員”と化しつつあったが、軽音の仲間に誘われて路上ライブや弾き語りをやってみたら、それが面白く感じるようになってきたのだ。

人前でパフォーマンスをし、それに対して身も知らずのギャラリーからの拍手は、まるでパチンコのフィーバーと同じような感覚として受け取れたのだ。

 

授業も、サークル活動も、そしてパチンコも、すべてが順調に動いていたのが大学2年のときであり、ひとときとはいえ俺を充実させてくれていた時期であった。

 

そんな充実した時間も長くは続かないというのが相場だ。

 

パチンコにまずほころびが見られてきた。

 

それまでのパチンコ経験から、俺は自分なりのルールが出来、それに従って打っていればほぼ間違いなく勝っていた、それまでは。

事実ほぼ一年の間、親からの仕送りには一切手を付けず、パチンコの稼ぎで生活が出来ていたし、困るということも一切なかったのだったが、ここ数か月、初めて赤字を出し、それが連続しているのだ。

 

不思議なもので一つの歯車にズレが生じると、ほかにも影響が出てくるようで、路上ライブや弾き語りも、観客の反応がいまいちだとそれに対して強烈にやる気が失せてしまうことが増え、かつての快感もぼやけてしまうようになっていた。

 

大学の授業も出席日数が足りないことが原因でいくつかの単位を落としてしまった事も、その影響かもしれない・・・そんなことを思いながらも、この悪循環に終止符を打つため俺はその日もパチンコホールに足を運んだ。

 

(今日こそは一発大逆転の大当たりを出して、これまでの損失をまとめて埋めてやる!)

 

そう意気込んだ俺は、台の上部にあるデータをくまなくチェックしながら、目星の台をつけた。今日の台はシマの一番端っこ、裏の出入口にもっとも近い場所の台にした。

 

ここの台は連日大当たりを連発している「北斗の拳」だ。

しかも今日は月初めの平日、客引きのためにも高設定になっているはず・・・そんなこと考えながらシートに腰を沈めた。

 

その時、後ろ後方に視線を感じ、振り返ると一人の男が立ってこちらを見ていたのだ。

 

そういえばこの顔には見覚えがある・・・少し前からよくこのホールで見かける顔で、パチンコをすることなくいつも店内のあちこちにいる人だ。

 

この日はホールに客の入りも少なく、比較的すいていることからも、この男と目があった瞬間、俺は軽く目で会釈のようなことをしてしまった。

 

それが正しいことなのか、それとも行き過ぎた出しゃばりな行為と受け取られるのか、俺には皆目見当がつかなかったが、とにかくその男と目があったことで何らかのことをしなければならないような感覚に襲われてしまったのだ。

 

早速、玉を打ち始めて間もなく、俺の席から一席飛ばした台のシートに、例の男が座るのが尻目に見えた。

 

(へぇ、このオッサン、いつもは眺めているだけなのに、遊ぶんだ~)

 

そんなことを思いつつ、俺は液晶のケンシロウとバットのアニメーションに見入っていた。

 

(もしかするとこのオッサン、いつもは台が決められずモタモタしてるけど、今日は客も少なく、俺にあやかって一つ隣りの席に座ったんだなぁ・・・きっとそうに違いない!)

 

しばらく俺は玉を打ち続けた。オッサンよりも早く大当たりを出して見せつけてやろうと思ったからだ。





ひとつ飛んで隣に座ったオッサンは、50代くらいだろうか?

 

中肉中背のどこにでもいそうなオッサンだったが、何となく俺はそのオッサンが気になっていた。

 

たまたまその時ホールの客が少なかったということもあったかもしれない・・・でも今日目があった時、思わず目で会釈してしまうほど自分には到底かなわない何かを持っている、ということを俺は本能的に感じ取っていたようだ。

 

(だから気になってるのかなぁ・・・?)

 

そんな思いにふけりながら、ふとオッサンを横目で見ると、何とオッサンは足元に落ちているパチンコ玉を丁寧に1個ずつ拾っては目の前の台に投入しているではないか!

 

(えぇ・・・ただのケチなオッサン?!)

 

俺は今しがた考えていたことなど一気に吹っ飛んでしまい、自分の本能とやらをあざ笑う羽目になった。

 

気を取り直して俺は「北斗」に集中した。



その後、大当たりは出たものの確変には至らず、ドル箱1つを出してはそれをまたつぎ込むものの繰り返しが何度か続く程度で、先月までの負けを取り返すまでには到底至らなかった。

 

トイレ休憩を兼ねて俺はちょっと台から離れた。

 

その間に別の台に移動しようかどうかを思案しながら、トイレに向かった。

 

トイレの扉を開けた途端、俺はハッとなってしまった。

 

そこには例のオッサンが立って用を足していたのだった。

 

扉が開いたことで向こうも俺の存在に気付き、お互いに目があったのだ、今日で2回目の。

 

「どうも・・・」

 

仕方なく凍えるような小さな声で俺は挨拶代わりの言葉を発した。

 

オッサンは用を足しながら、少しだけ口元を緩めて

 

「調子はどうだい?」

 

と聞いてきた。

 

その声と言葉にちょっと安心した俺は、

 

「いぁ、厳しいですねぇ・・・」

 

と言った。

 

「ここへはよく来るのかい?」

 

オッサンは最後の一滴を絞り出すかのように、身体を上下にゆすりながら言った。

 

「そうですね・・・」

 

「君は学生さん?」

 

「はい、そうですけど・・・」

 

「そっか・・・未来有望な日本の宝だな!」

 

「えっ、そ、そんなことはないっすけどね、ははっ・・・」

 

そういいながら俺もオッサンに習って体を上下にゆすっていた。

 

(今日はなんかキレが悪い・・・)

 

そう思いながら、最後の一滴を絞り出すと、既に洗面手を洗っているオッサンの隣に俺は移動した。

 

広くてきれいなトイレに、二人の男が同じ方向に向いて並んで手を洗っている様子が目の前の鏡に映っている。

 

肉眼で見るオッサンはケチなオッサンだが、鏡に映るオッサンはなぜか得体のしれないオーラを放っているように見えた。

 

「がんばってな!」

 

先に手を洗い終えたオッサンが、俺の返事を待たずしてトイレの扉を開けて出て行ってしまった。

 

台に戻って再び「北斗」を打ち始めた俺に、ようやくツキが回ってきた。

 

この時を境に、大当たり確変の連チャンが続いたのだ。

 

(オッサン、福の神だなぁ!)

 

俺はニヤけながらケンシロウラオウの戦いを見ていた。





久しぶりの大当たりを引き出した俺は、小躍りしたい気分になっていた。

 

というのもここ最近負けっぱなしで、ツキから見放されていたと思っていたのだったが、例のオッサンとのちょっとした会話で流れが変わったように思えた。

 

それは何とも言葉では表現できない感覚で、オッサンの放つオーラによってもたらされたツキであるということに、疑いようもない確信めいたものを俺は感じていたのだ。

 

だから再びオッサンに会ったらコーヒーでもご馳走しようと心に決めていたのだが、それ以降オッサンの姿を発見することができなかった。



その日俺は久しぶりの大勝に気をよくしていた。

 

というのも「蛍の光」が流れている時まで大当たりが続いていたからだ。

 

(こんなことは久しぶりだなぁ・・・)

 

店内放送を聞きながらも、時短モードに入った台は相変わらずせわしく動いていた。

 

ギリギリまで打っているつもりだったが、店員に促されて積み上がったドル箱を集計することになる。

 

(今日はここまでだな・・・)

 

久々の大勝に俺はニンマリとして換金所へ足を運んだ。

 

結局20万近くとなった戦利金は、すっかり暗くなった外の世界とは裏腹に俺の心を明るく照らしてくれた。

 

(11時20分か・・・)

 

腕時計を見ながら俺は自分のアパートに帰る前に、食べ損ねた夕食を24時間営業の牛丼屋で済ませようと、駅の方へ歩きはじめた。

 

見慣れたオレンジ色の看板を目指して歩いていると、向こうから数人の男性が歩いてきたので、俺は反射的に歩道の端へずれた。

 

ジャケットを羽織った先頭の男の後ろには2人のスーツ姿の男があとからついてくる・・・

明らかに先頭の男が上司で、それに従うスーツの部下という構図が見える。

 

すれ違いざま、ハッとなった!

 

(あっ・・えっ・・・!)

 

暗闇の中、言葉にならない声を上げた俺に、向こうも気付いたようで、街灯から漏れるわずかな灯りで確認できたのだ。

 

(オッサンだ・・・福の神のオッサンだ!)

 

「やぁ、君か!」

 

先頭を歩いていたオッサンが先に声をかけてくれたので、俺はホッとしながら答える。

 

というのもオッサンの後ろにいるスーツ姿の男二人は、どう見てもオッサンのボディガードのようだったからだ。

 

「ど、どうも・・・こんばんは・・・」

 

おかしな受け応えをしたのではないかと、元来の引っ込み思案な性格を呪いながら心配しながらオッサンの顔に目を向けてみた。

 

オッサンは立ち止まってニッコリとほほ笑んでくれているのがわかる。

 

「いままで打っていたの?」

 

「は、はい・・・そ、そうです・・・」

 

蛇に睨まれたカエルのように、俺は直立不動で返事を返した。

 

「ほぅ・・・ということは勝ったということかい?」

 

「まぁ・・・一応・・・」

 

俺はそう答えながらも、このオッサンとトイレで言葉を交わした直後から大当たりが連続して、閉店のギリギリまで連チャンが続いたことを思い出した。

 

「そ、そういえば、トイレでお会いしてから、急にツキが回ってきて・・・それで勝てたんです。何って言っていいのか、わかんないっすけど・・・とにかく、ありがとうございました」

 

照れくささはあったものの、俺なりの感謝の気持ちと礼儀を示したかった。

 

「えぇ!この私と話したあとで・・・そりゃ光栄だね、そう思ってくれるだけでもうれしいことなのに、こうして言葉で言ってもらうと余計にうれしいねぇ」

 

「は、はい・・・」

 

俺よりもちょっと小柄なオッサンだが、こうして話してみると何だか凄いパワーを持っているという気がした。

 

「こういう出会いを“縁”というのだろなぁ・・・また君とはどこかで会うような気がするなぁ・・・じゃあな!」

 

そう言い残してオッサンは向きを変えて歩き出して行った。

 

暗闇の中一人残された俺は、何だかとても清々しい気持ちになっていた。




【変化】

 

大学3年の時に、それは突如として起きた。

 

両親が離婚したのだ。

実家には正月に帰省するくらいだったので、詳しい理由はわからない。

まぁ離婚なんて、最近どこの家庭でも起こることなので、そのことに関しては特に何とも感じなかった。

 

むしろ口うるさい母親から解放されたいと、かねてから寡黙なおやじが思っていたのだろうと推測できた。

 

しかしそうでもなかったらしい・・・

 

離婚が成立して間もなく、おやじが自殺したのだ!

俺にとっては寝耳に水であり、何か固いもので不意に頭を殴られたような衝撃を感じた。

 

口数が少なく、いつも何かを考えているようなおやじは、医者であり医学博士であったことがそう思わせていたのだろうと当時は思っていたが、実は躁うつ病で苦しんでいたということがわかった。

 

俺は一人泣いた。

そしておやじに懺悔した。

もっといっぱい話をしておけばよかったと後悔した。

その存在が無いという事実が、余計に俺の心を苛め、そして締め付けた。

悔しさと切なさで、俺の涙は止まることを知らなかった・・・

 

(きっと、きっと、俺のせいで病んだんだ・・・俺が原因だったんだ・・・)

 

そうとしか考えられなかった。

 

(おやじは俺に期待している。きっと医学部に行って欲しいに違いない。でも俺はおやじみたいに頭は良くないし、勉強嫌いだから医学部なんてゴメンだ。学費も奨学金で払うし、望み通り難関大学受かってやったのだから、あとは俺の好きにさせてくれ!)

 

大学に受かった時、そんな気持ちが俺の中に蔓延していた。

一人暮らしを始めたということもあったが、その時を境に俺と親との距離は、物理的な物だけでなく心の距離も開いていったのだ。

 

それが原因で両親の関係性にも亀裂が入り、離れていった親子の距離とともに夫婦の距離も開き、そして離婚につながっていったのだろう。

 

俺の心の中には「優しい兄貴がいるんだから弟の俺は自由にしても問題ないだろう」という、そんな傲慢で身勝手な気持ちがあったことは間違いない。

 

そんな俺を嘆いていたのかもしれない・・・

そんな息子にしてしまった自分を責めていたのかもしれない・・・

 

それでもおやじは何も言わず、じっと自分の心の中にその感情を押し殺して長い間しまっていたのだろう。

 

(おやじ・・・)

 

俺の声が届いているだろうか・・・?

 

もっと一緒に話したかった、もっと一緒に時間を過ごしたかった・・・

どんなに悔やんでも悔やみきれない感情が、俺の決断を促した。

 

(強い人間になろう・・・おやじのようになれなくても、おやじに少しでも近づけるよう努力しよう・・・それを望んでいるはずだ・・・)

 

これまでの勉学といった努力は、どちらかというと「やらされ感」の中で育んできたものだったが、この時初めて自分の意志で努力してみよう、という気持ちに初めてなったのだ。

 

(おやじの死で自分の人生を真剣に考え始めるなんて、なんて情けない男なんだ!しかもそのおやじを死に追いやった張本人がこの俺だというのに・・・)

 

弔いの気持ちと、自分を責める気持ちの攻防は、生きた心地がしなかった。






おやじの死以来、俺はパチンコを封印した。

大学の授業を真剣に受け、勉強中心の生活になっていった。

 

そして一流企業に就職し、そこで出世することを思い描いた。

そんな俺の姿をもしおやじが見てくれたら、きっと喜んでくれるに違いないと思ったからだ。

 

単位も順調にとれたし、パチンコで貯めた資金や仕送りもあったため、生活に困ることなく一人暮らしが継続できた。

 

そして就職先の第一希望は、誰もが知っている大手の一流と言われる会社を選び就職活動をしたのだが、その夢は脆くも崩れた。

 

その後「大手一流企業」に絞って就職活動を続けたものの、ことごとく俺は嫌われた。

何度もそれが続くと、自信が失われるだけでなく、自分自身が世の中に必要ない人間なのだと疑う気持ちも生まれ、自責の念が強まっていく・・・

 

(俺はおやじのように立派な人間ではないのだろう・・・そもそもおやじに近づくなんて出来るわけないことなんだ・・・)

 

徐々に塞ぎ込んでいく俺は、大学に入って自分を変えたつもりだったはずなのに、かつての人嫌いが顔をだし、人と会うことが億劫に感じるようになっていた。

 

もうどうにでもなれ!

 

投げやりになってようやく内定がもらえた会社は何と人材派遣の会社だった。

 

(人嫌いの俺が人材派遣の会社に行くなんて、皮肉なもんだ・・・)

 

とにかく誰でもいいので新卒の学生を「数」で採用しているというのがわかるような会社だったが、結局内定が出たのがこの会社だけであったということと、これ以上面接やら会社説明会が苦しく感じていた俺は、この会社に進むことに決めた。

 

進路が決まれば普通はその前途に意気揚々とするものなのだろうが、この時の俺にあったのは「どうにでもなれ!」というような投げやりの気持ちであり、先の見えない未来に対する絶望しかなかった。



大学も4年、卒業に必要な単位も充分であることから、一日中部屋から一歩も外に出ないという日々が続いた。

 

ゲームをしたり漫画を読んだりしても、すぐに飽きてしまう・・・

少しは明るい気持ちになれるだろうと思い、テレビをつけてお笑いを見るが、どうしても腹の底から笑えない。

 

うつ病ってこんな感じなのかなぁ・・・)

 

躁うつ病だったおやじのことを思い浮かべながら、俺はただ時間が過ぎていくことだけを願った。

 

春になって、大学を卒業し就職すれば新生活がすべてを変えてくれるであろうという、おぼろげな期待だけが、この時の俺の生きる支えだったような気がする。

 

(冬眠が覚めるまでもう少し・・・)

 

誰とも会話をすることもなく、一度も声を発しない日を続けながら、俺は時を待った。

 

まるで春を待つ動植物のように・・・




春になった。

 

世間一般的な新生活のスタートとは、期待と不安が混じりながらも未来への希望で満ち溢れるものなのだろうが、俺にはその感覚が全く感じられなかった。

 

大学は卒業したものの、第一志望の大手企業に蹴られて以来、なし崩し的にようやく内定にたどり着いたのが人材派遣会社、しかも入社してみると営業職であったことに、俺は自分の人生を呪った。

 

契約件数の月間目標をこなすために、朝から晩まで新規営業の外回りをし、いつしか月間目標は月間ノルマとなってのしかかってくる。

 

入社して最初の1年目はそれでも先輩社員のサポートもあって何とかこなせたものの、2年目となると、今度は自分が新入社員の面倒を見なければならなくなる。

 

しかし俺にはそんな余裕もなければ、まともな営業成果も出していないことは明白なため、上司からも「お前は新入社員のサポートはしなくていい!その前に自分の給料分ぐらいは稼いで来い!」とみんなの前で怒鳴られる始末だ。

 

(なんで俺ってこんなに惨めなのだろうか・・・)

 

その時の俺の気持ちと言えば、辛さや悔しさよりも、自分自身の存在自体がこの世に必要ないのではないかという疑念の方が勝っていたくらいだった。

 

(俺の人生に意味はあるのだろうか?俺の生まれてきた役割ってあるのだろうか?)

 

社内の俺に対する風当たりは日増しに強くなって行った。

それもそのはずで、自分よりも後から入社した社員に営業成績で完全に抜かれ、焦って目ぼしい客先を回っても、爪先立った俺を見て誰も契約などしてくれず「疫病神」の如く追い返される毎日だった。

 

大学に入学して克服したと思った人付き合いの苦手意識も再燃し、昔以上に人嫌いとなっていく自分が手に取るようにわかる。

 

組織に馴染めず、営業成績も上がらず、出社することさえ苦痛に感じるようになって行った俺についたあだ名が「給料泥棒」だった。

 

「自分の喰いっぷち分さえの仕事もこなせない人間は、もはや給料泥棒としか言いようがない!」

 

面と向かって強い口調で怒鳴るようには決して言わず、静かに、それとなく周囲に聞こえるような感じのトーンで無機質に言葉を発する上司に、吐き気を感じた。

 

そして20代半ばにして人生の目的を見失い、絶望に苛まれた。

 

それでも3年、その会社には籍を置いた。

いや3年もの期間、辛抱できた。

しかしそれがもう限界だった・・・

これ以上ここにいることで、その力で押しつぶされるか、自分の内側から破裂するか、どちらが先かというところにまで来ていた。

 

俺は会社を辞めた。

 

誰も引き留めやしないし、そんなことは分かっていたので、悲しくも辛くもなかった。

 

当然送別会や慰労会などしてくれるはずもなく、最後の日、一番隅に追いやられていた自分の席を片付けているとスマホにメールの着信を示す振動があった。

 

覗いてみると(今日、この後一緒に飯でも食いに行こうぜ!時間作ってくれよな!)と書いてあった。

 

贈り主は前田だった。

前田律太、10人以上もいる同期入社の内の一人だ。

 

彼はなかなか営業成績も良く、あっけらかんとした持ち前の明るさで、俺とは対照的な人間だったが、多くの社員が俺を見下していたにも関わらず、前田だけはちょこちょこと俺に声をかけてくれた。

 

それに対して人見知りで塞ぎがちであった俺は、ろくな言葉も返せず、どこかで彼に対しての申し訳なさを感じていた。

(わかった・・・)

 

俺は短く返事を打つと、すぐさま彼からの返信があり、以前何度か行ったことがある駅前の大衆居酒屋「かつら亭」で7時に合流しようということになった。

 

誰からも誘われず、声も掛けてもらえないことなど平気だと思っていたが、この時だけは俺の中から喜びが湧きあがってくるのがわかってうれしかった。

 

他人から、一人の人間として扱ってもらえている・・・

 

そんな気持ちが俺を少しだけ幸せな気分に浸らせてくれたのだ。

 

指定された居酒屋に行くと、受付で既に前田が予約を入れておいてくれたことが分かった。

 

カウンター席に通されて周りを見ると、間もなく7時のこの時間、既にあちらこちらで宴会が始まっている。

 

5分ほど待っていると前田が勢いよく店に入ってきた。

 

前田の身長は175センチ、体重は60キロといったところか。

 

数字には強く、記憶力にも比較的自信のある俺だったが、そんなことよりも営業能力が高い方が現実社会では認めてもらえるのだなぁ・・・と思考を巡らせた。

 

「すまん、すまん・・・営業報告書に手間取っちゃってさぁ・・わりぃな・・・」

 

前田は俺が退社するということを思い出したのか、最後は声のトーンをかなり落とした。

 

俺は言葉を発せず、ただニコニコとしながら隣のカウンター席の椅子を引いて、前田に座るように促すことで「大丈夫さ」という心の返事をした。

 

軽くうなずき彼はそそくさと俺の隣に腰を掛ける。

 

ビールで乾杯し、しばらく沈黙が続いた。

 

でもその沈黙も俺には心地よく感じた。

 

(なぜだろう・・・前田の隣にいるとしっくりくるし、落ち着く・・・)

 

そんなことを感じていると、正面を見つめながら徐に前田が口を切った。

 

「サラリーマンがすべてじゃないし、いろいろやってみないとわかんねぇしなぁ・・・自分が何に向いているかってことは・・・」

 

「・・・」

 

無言のまま俺はビールを口に運ぶ。

 

「おれ、最近思うんだよなぁ、このままこの会社にいて定年まで勤め上げるのだろうかって。想像もつかねぇし、それを真剣に考えるとゾッとするときがあるんだ」

 

「仕事の出来るお前が?」

 

「そうだよ・・・だって考えてもみろよ、たまたまこの会社に入ったから言われるがまま仕事をしているだけであって、俺は昔から人材派遣会社に勤務することが夢だったわけじゃねぇぞ!そんなやついるわけがないだろう」

 

「まぁ、確かに・・・」

 

「安定を求めてつまらない人生を送るか、リスクがあっても冒険を求めて最高の人生を送るか・・・それを最近いつも考えているんだ」

 

「そっか・・・」

 

つれない返事しかできない自分を俺はちょっと惨めに思った。

 

「でも川上が辞めるって聞いて、俺ちょっと背中を押されたような気がするんだ。だって人生の主役って自分であって会社じゃねぇだろう、お前は会社を辞めることで俺にそれを教えてくれたんだよ」

 

「・・・」

 

うつむいたまま俺は宙を見つめていた。

隣りの前田もカウンターに両肘をつきながら正面に顔を向けたままだ。

 

「俺も辞めよっかなぁ・・・」

 

「えっ・・・」

 

絶句して唾を飲みこんだ。

 

「まぁすぐにではないけどな・・・でも俺はこの会社に入っていなければお前と出会うことはなかったし、そういう意味ではこの会社に感謝しているけど、自分の人生を考えた時、この会社が俺の舞台ではないような気もするんだ」

 

なぜかこの時、俺の中からこみあげてくるものがあった。

自分でも理解できない感情だ。

でも明らかにそれは存在する。

 

会社勤め最後の日になって、初めて前田を近くに感じ、そして彼の気持ちを感じることが出来た。

 

この後、前田は俺にとって大切な親友となっていくのだ。

 

そして俺とともに成長していくこととなる・・・