フィーバー税理士
【始まり】
時計の針は間もなく午後11時を指そうとしている・・・
居酒屋の店内は、まるで日中のような賑やかな喧騒を放っている。
「お待たせしました!」
威勢のいい声で女の店員が、泡をジョッキから垂らしながら頼んだビールを運んできた。
かんぱ~い!!
そう言うと俺はビールジョッキを右手に持ち、一気に麦の香りを流し込んだ。
ビールジョッキはちょっと重く感じたが、今日は心地よい重さだ。
丸一日パチンコを打っていると、右腕が痛くなることがある。
玉を発射させるハンドルを押さえていなければならないためだ。
負けた日などはその痛みを強く感じるし、それが大負けであれば自分の腕ではないような感じさえするときもある。
でも今日は右手に持ったビールジョッキの重さがとても心地よい。
そう、今日は勝ったからだ。
だから今日は「かんぱ~い!!」はではなく「完勝!!」と言わなければならない・・・
そんなことを考えながら俺はほくそ笑むように、ズボンのポケットに入っている膨らんだ財布を左手で撫でた。
俺の名前は川上玄人。
「くろうと」ではなく「くろと」と読むのだが、この名前なので昔からあだ名は「プロ」と呼ばれている。
どうしてこんな名前にしたのか?
物心のついたころ親に聞いたことがあったが、聞いたタイミングが悪かったのであろう、父も母もお互い憮然とした顔で俺を見た。
俺にとってその時の二人の視線が余りにも意外だったので、それ以来俺はこの質問を封印しており、本当のところ名前に込めた想いは今でも知らない。
父親が医者で母親が教師だったので今思えば、その道のプロになって欲しい、おおかたそんなところで命名したのであろう。
そんなこと、どうでもいいや・・・
両親に対する反発心からなのか、俺はいつもあの目を思い出したあとに必ずと言っていいほどこの言葉をつぶやく。
そんな俺の幼少期は、傍から見たら誰もが羨む生活だったのかもしれない・・・
あくまでも外見上は。
医者の父と教師の母の間に、次男として生を受けた俺は、神戸の高級住宅街で子供時代を過ごした。
小さいころから様々な英才教育を受けてきたことで、学校の成績はとにかく良かった。
その分、スポーツが苦手な上に引っ込み思案で恥ずかしがり屋なため人前でまともに話すことが出来ず、コミュニケーションに大きな問題を抱えていた。
しかし3つ上の兄がとても優しくて温和な性格であったため、子供の頃の俺は兄によって救われていたといっても過言ではない。
医者の父は100キロ級の体重で太っていたが、医者という肩書がかえってそれを威厳という貫録に変えていたことで、近寄りがたい存在であった。
寡黙で読書好きな父は、俺や家族には興味がないらしく、常に険しい顔をして何かを考えている様子は子供の目から見ても明らかだった。
一方の母親は教師という職業柄か、典型的な教育ママでありお節介であった。
子供のことで常に頭を悩ませていて、学校の成績は良くて当たり前という考えだったので、小さいころから俺は母親に認められることが絶対条件となっていた。
俺の傍には兄がいて、その向こうに両親がいる、そんな家族環境の中で幼少期を過ごした俺は、良い成績を引っ提げて順調に進み、やがて有名私立高から難関大学へと進学していった。
傍から見れば、ここまでは非常に順風満帆な人生といえるかもしれない。
でもこのあと、その後の人生に大きく影響する経験をしていくことになる・・・
大学に合格した俺は、そこが世間一般で言う「難関大学」であったからか、それとも典型的な教育ママであった母親の期待に応えることが出来たという安堵からか、そこで人生の目的を果たしたような気分になっていた。
大学生活は楽しい日々であった。
人生で味わう、本当の意味での‘楽しさ’とはこの時が初めてだったかもしれない。
それまでは親元で常に両親の目を意識した生活であったので、そこから解放され真の自由を得たがごとく、俺は自由を満喫した。
勉強に励むというよりも楽しむための時間に励む、という生活は俺に多くの楽しみをもたらした。
友人、音楽、コンパ、酒・・・そしてパチンコ。
中でもパチンコはとても刺激的なものだった。
はじめて友人に誘われてパチンコに行った時の感動は今でも忘れられない。
この世にこんなにも楽しいものがあったなんて・・・
それまでの俺は、パチンコについて何の知識も縁もなかった。
仲のいい友人と隣同士で座り、初めての俺は何をどうしていいのかわからず、彼から手ほどきを受けた。
はじめて座ったパチンコの台は「海物語」というものだった。
なにやらゲームに出てきそうなアニメキャラがいるし、何となく子供っぽいデザインという印象を受けた。
お金の投入の仕方、玉の狙い場所、確変や激アツリーチといった言葉も、この時初めて耳にしたものだった。
一通りの友人の講義が終わると、早速に彼はハンドルを握って玉を打ちだした。
恐らく早くやりたくて仕方がなかったのだろう。
その眼はまるで獲物を狙う狼のようにランランと輝いていて、隣で不思議そうに見つめる俺の視線に全く気づく様子がない。
彼に習った通り、俺も1000円札を1枚投入し替玉ボタンとやらを押して玉を打ち始めた。
ジャラジャラジャラ・・・
機械的な音とともに手前の空間に、銀色の玉が埋め尽くされていく。
早速ハンドルをひねって玉をはじいてみると、強すぎたのか、弧を描くように大きく右周りに一周して、一番下にある穴に吸い込まれていった。
「この釘とこの釘の間を狙うんだ」といった友人のアドバイスを思い出し、手元をうまく調整して玉の動きを整えた俺は、その感覚を右手に叩き込んだ。
チェッカーに玉が入るとけたたましいい音とライトが、これでもかというほどその存在をアピールするが、回転が終わると、まるで死んだかのようにその息をひそめるその格差に、俺は思わず笑ってしまった。
思わせぶりなリーチモードも何回か経験し、一通り動かしてみてパチンコの仕組みが理解できた。
(なるほど・・・こうやるのか!)
わずかな時間で、俺はすでにパチンコの遊び方をマスターした気分になっていた。
(勉強もそうだしゲームもそう、パチンコも基本がわかれば何とかなるなぁ・・・)
投入した1000円は替玉ボタンを押すと500円分の玉が台の受け皿に出てくるのだが、間もなく最初の500円分の玉が無くなりそうだ。
他人よりも呑み込みが早いという自負のある俺は、そんなことを頭の中でつぶやきながら、無くなりかけた玉の補充のために、残り500円分の替玉ボタンに手をかけようと準備していた。
その時、中央のディスプレイには何やら魚の大群が出現し、全体を覆いつくしたのだ。
「おおっ、来たな!」
友人はそう言うと隣から覗き込んでにっこりとほほ笑んでこう続けた。
「でもダマしの可能性もあるからな」
「それはもう既に経験済みさ」
俺はそういいかえしてやった。
しかしそれがダマしではなかったのだ。
魚群リーチと呼ばれるそれは、右から左に流れていく。
まさに水中の小魚たちが群れをなして、
テレビで良く見るあの光景のようだ。
俺は視点をどこに定めればいいのかわからず、
ただ激しく動くディスプレイを見つめ、
右手は発射台のハンドルレバーをきつく握っていた。
魚群の前には「7」と「8」の魚が交差するように上下に静止していて、
その間の中央部分の列だけが動いている。
スマホで昔流行ったスロットマシーンのゲームを彷彿とさせるものだ、
なんてことを思いながら、俺は最後の一列が揃うのをただじっと待っていた。
一瞬・・・
時間が止まったかのように、音も、光も、そしてディスプレイの画像も止み、
俺の台だけが静寂に包まれた。
次の瞬間、最後に残っていた真ん中の列が「7」の魚のところでピタリと静止した。
そして再び止まっていた時間が再び動き出した。
電飾とけたたましい音は先ほどよりも大きくなっているようだ。
「マジかよ・・・すげぇ・・・」
隣りの友人が、明らかに先ほどとは違う目で俺を見つめている。
その眼には尊敬、憧憬、羨望・・・様々な感情が見て取れた。
「ダマしじゃなかったようだぜ!」
俺はちょっと得意げになって言い返してやった。
人生初めてのパチンコは、
たった500円で大当たりを引き出した。
その後大当たりは止まることなく連チャンが続き、
羨ましがる友人を尻目に、俺の足元には何箱ものドル箱が積み上がっていった。
(これを換金したらいったいいくらになるのだろうか・・・)
そんなことを考えているうちに、ようやく友人の方にも当たりが来た。
「昨日はハマっていた台だからな、でもやっと来やがった・・・さぁここから取り返すぞぉ!」
そういうと二人で目を合わせお互いにニッコリほほ笑んだ。
自分ばかりが大当たりを引き出しておきながら、
パチンコを紹介してくれた友人が一向にその気配がないことに、
申し訳なさとともに若干の気後れを俺は感じていた。
(でもこればっかりはギャンブルだし、時の運ってもののあるしなぁ・・・)
そんなことを考えながら、
ちょっと余裕が出てきた俺はスマホを取り出して、
人生初めての大当たりをツイートでもしようかと思ったものの、友人がいつの間にかイヤホンを繋げて音楽を聴いていたので、俺もそれに倣うことにした。
それにパチンコホールというところが、こんなにも音のうるさいところだろ言うことを、
いまさらながら気が付いたからだ。
最初入った時は、入り口で立っていたちょっと可愛らしいホールレディに目を奪われてしまったので音のうるささはさほど気にならなかったもの、時間が経過するとその音量に改めて驚かされる。
イヤホンから流れてくる乃木坂46は、最近聴いている俺の定番だ。
これを聞いていると何となく落ち着いてくるし、元気が出てくる。
(もうそろそろ連チャンの大当たりも止まる頃だろうか?)
そんなことを考えながら、まだいくらになるのか皆目見当がつかない足元に高く積み上げられたドル箱をチラッと眺めながらも背後に人の気配を感じた。
振り返るとそこには乃木坂46で踊っていそうな、かわいらしいコーヒーレディがコーヒーの案内札を差し出して俺に向かってニッコリとほほ笑んでいる。
慌てて俺は片方のイヤホンを外し、馬鹿みたいに会釈してしまった。
そんな俺を見てニッコリとほほ笑んだコーヒーレディから、席を立つことなく手元にあるパチンコ玉でコーヒーが買えることを知って「なんて合理的なシステムなんだ!」と感動してしまった。
ちょっとしたお礼のつもりで友人の分のコーヒーも、俺の手元にあるあふれんばかりの銀色の玉で買ってやった。
それでもほとんど減った感じがしない。
それどころか目の前の液晶画面は、相変わらずまわり続け、再び大当たりを量産し続けている。
この後、俺と友人の出玉の数に大きな差が開くことになるのだ。
鳴りやまない俺の台とは対照的に、隣に座る友人の台は一度当たりが来たものの、それ以降は鳴りを潜めているようだ。
二人とも耳にイヤホンをして、コーヒーをすすりながら目の前の液晶画面を注視しているので、お互いを意識することはない。
スマホの時計を見るともう午後の2時近くになっている。
ホールに来たのが朝10時前だったので、昼飯も食べずにお互い集中していることに気が付いた。
(パチンコしている時ってこんなにも集中できるものなんだなぁ・・・)
俺は家でゲームをしている時と同じような感覚に襲われ、そして思った。
(ゲームはゲームで面白いけどパチンコの方が稼げる分、こっちの方がいいじゃん!)
足元に積み上げられたドル箱の山は、すでに11箱になっている。
コーヒーを頼んだ時のちょっとした合間に、友人から聞いた話によると1箱がだいたい5000円前後になるといっていた。
となると・・・
そう、俺はわずか1000円ほどの投資したお金が、既に55000円ほどになっているということではないか!
(パチンコってすげぇーじゃん!)
心の中で俺はガッツポーズをした。
そしてゲームなんかよりもはるかに実利があって、ゲーム並み、いやそれ以上に面白いということに気が付いたのだった。
隣りの友人は、最初に出したドル箱の玉もすでに使い果たしたようで、そういえば台の上部にあるお札投入口に福沢諭吉を指し込んでいたことを思い出した。
(あいつ一万円もつっこんだんだのか・・・ちょっと申し訳ないなぁ・・・)
そんなことを考えつつも、再び俺の目の前には魚群が出現したのだった。
こうして俺たち二人は、結局夜の7時過ぎまでパチンコホールで過ごしたのだった。
そして最終結果は、俺が合計21箱で10万ちょっとの現金を得て、友人は結局3万円の負けとなった。
パチンコホールを後にした俺たちは、近くの居酒屋に移動した。
昼飯もろくに食べずにパチンコに集中していた俺は、激しい空腹を感じていたのだった。
それに引き替え友人の方は、昼抜きでありながらも対して空腹は感じていない様子だった。
それもそのはずだろう、パチンコが初めての人間を連れて行って手ほどきをしてあげたのに、自分は大負けし、手ほどきをしてあげた方が大勝したのだから・・・
思わぬ臨時収入を得た俺は、彼への感謝と自分への祝福を込めて、俺の方から居酒屋に誘ったのだ。
もちろんそこの御代は全て俺が持つという条件で。
浮かぬ顔だった友人も、アルコールが入り食事を口にすると徐々にいつもの彼に戻ってきた。
「いやぁ参ったよ、ほんとに今日は・・・お前があんなに大勝するとは思ってもみなかった!」
「俺だってこんな結果になるなんて想像もしてなかったさ、お前には悪い気もするが、今日のことは感謝してるぜ!」
「まあいいさ、今日は負けたけど今月はおれ通算でまだ結構勝ってるんだよなぁ」
「勝ってるってどのくらい?」
個人のお金のことに首を突っ込むのにちょっと気が引けたが、パチンコにすっかり興味が湧いてきた俺は身を乗り出して聞いた。
「まぁだいたい10万ちょいってとこさ」
(月が始まって今日で12日、月の半分までも経っていないのに10万の収支・・・)
俺の頭の中のカリキュレーターが、まるでパチンコの液晶ルーレットのように激しく回転した。
友人はほぼ毎日のようにパチンコをしているということは知っていたが、こんなに儲けているなんてことは一切知らなかった。
大学生の身分である我々にとって、パチンコで利益を出すなんてちょっとおこがましい感じがしたのだが、それも一瞬のことであって、俺はこの時パチンコで生計を立てられるんじゃないかと、皮算用をしていたのだった。
そのためその日はいくら飲んでも酔うことが無かった。
俺のパチンコ人生の幕があがった瞬間だった。
【出会い】
俺のパチンコ人生の始まりは、劇的な大勝利で幕を開けたことで、
それまでの大学生活が一変した。
それまでの引っ込み思案で内気な性格や、人との付き合いが下手でコミュニケーションが苦手な自分と決別しようと、大学入学当初はテニス同好会や軽音サークルに所属して、人との触れ合いを求めた。
しかし人間の性格というか気質は、そう簡単に変わるものではないということが分かった。
というのも、積極的に活動に参加したものの、表面上は楽しい気分を感じているにもかかわらず、心の奥底の感情はやはりそれを拒絶していたように思う。
徐々にそういった活動からも足が遠のいていったものの、それでも入学して知り合った何人かの友人が出来たというだけで、俺にとっては財産のように感じた。
そんな中の一人が俺にパチンコを教えてくれたのだ。
人生初めてのパチンコに連れて行ってもらい、そして確変の連チャンを経験してその魅力を味わった俺は、いつしかその道へとのめり込んでいき、気が付けばパチンコで生計を立てるほどになっていった。
大学生活は、ご多分に漏れず俺も親の仕送りで生活をしていた。
そりゃそうだろう、教育ママの母親の希望通りの大学へ進学したのだから。
しかしその仕送りに頼った生活ではなく、パチンコで仕送り以上のお金を毎月稼げるようになって行く自分がいたことで、俺はまるで自分自身がいっぱしの大人となって独立し、成長しているかのような気になっていたのだ。
(おれは自立している!それは俺の実力であり才能だ!だから俺は自由なのだ!)
その時の俺の体内には、こんな考えが蔓延していた。
パチンコ中心の大学生活になったことで、勝つときもあれば負ける時もあるものの、総じてプラスの収支を記録していたことも、俺の自信を強固なものにしていった。
友人と行った人生初めてのパチンコで大当たりを決めた店は、自分との相性のいい店としてその後の俺の活動拠点になっていき、一方で新台の入替情報や新規オープンの店舗情報が入れば、確変の連チャンフィーバーを求めて開店前から朝イチで並んだ。
自宅とパチンコホールを行き来する毎日を過ごしていたある日、いつもの店に行き台を物色していると、一人の男性と目があった。
最近ちょこちょこ見かける顔の、その人は特にパチンコを打つこともせず、店内をうろうろ回っているかと思えば、一か所でじっと佇んでいることもある。
(怪しい人だなぁ・・・)
何となくそんな印象を持っていた俺だが、パチンコホールには様々な人種の人が出入りすることもあり、特に気には留めなかった。
しかしその人物こそが、その後の俺の人生に多大な影響を与えることになるとは、その時全くもって思いもしなかった。
大学生活も2年目に入ると、すべてにおいて慣れが出てきて、1年目に感じた感覚とは違うということを知った。
大学の授業も教授陣によって教え方や試験対策にも特徴があって、それさえつかめば単位を取るということも意外と簡単だった。
元来の要領の良さと、勉強にも通ずる基礎把握の応用だと思った俺は「我ながら頭いいじゃん!」と自分に感心した。
それでも出席の有無だけはどうにもならなかったが・・・
サークル活動にも変化が訪れた。
最初のうちはこれまでの自分を変えようという目的で加わったものの、徐々に足が遠のき“幽霊部員”と化しつつあったが、軽音の仲間に誘われて路上ライブや弾き語りをやってみたら、それが面白く感じるようになってきたのだ。
人前でパフォーマンスをし、それに対して身も知らずのギャラリーからの拍手は、まるでパチンコのフィーバーと同じような感覚として受け取れたのだ。
授業も、サークル活動も、そしてパチンコも、すべてが順調に動いていたのが大学2年のときであり、ひとときとはいえ俺を充実させてくれていた時期であった。
そんな充実した時間も長くは続かないというのが相場だ。
パチンコにまずほころびが見られてきた。
それまでのパチンコ経験から、俺は自分なりのルールが出来、それに従って打っていればほぼ間違いなく勝っていた、それまでは。
事実ほぼ一年の間、親からの仕送りには一切手を付けず、パチンコの稼ぎで生活が出来ていたし、困るということも一切なかったのだったが、ここ数か月、初めて赤字を出し、それが連続しているのだ。
不思議なもので一つの歯車にズレが生じると、ほかにも影響が出てくるようで、路上ライブや弾き語りも、観客の反応がいまいちだとそれに対して強烈にやる気が失せてしまうことが増え、かつての快感もぼやけてしまうようになっていた。
大学の授業も出席日数が足りないことが原因でいくつかの単位を落としてしまった事も、その影響かもしれない・・・そんなことを思いながらも、この悪循環に終止符を打つため俺はその日もパチンコホールに足を運んだ。
(今日こそは一発大逆転の大当たりを出して、これまでの損失をまとめて埋めてやる!)
そう意気込んだ俺は、台の上部にあるデータをくまなくチェックしながら、目星の台をつけた。今日の台はシマの一番端っこ、裏の出入口にもっとも近い場所の台にした。
ここの台は連日大当たりを連発している「北斗の拳」だ。
しかも今日は月初めの平日、客引きのためにも高設定になっているはず・・・そんなこと考えながらシートに腰を沈めた。
その時、後ろ後方に視線を感じ、振り返ると一人の男が立ってこちらを見ていたのだ。
そういえばこの顔には見覚えがある・・・少し前からよくこのホールで見かける顔で、パチンコをすることなくいつも店内のあちこちにいる人だ。
この日はホールに客の入りも少なく、比較的すいていることからも、この男と目があった瞬間、俺は軽く目で会釈のようなことをしてしまった。
それが正しいことなのか、それとも行き過ぎた出しゃばりな行為と受け取られるのか、俺には皆目見当がつかなかったが、とにかくその男と目があったことで何らかのことをしなければならないような感覚に襲われてしまったのだ。
早速、玉を打ち始めて間もなく、俺の席から一席飛ばした台のシートに、例の男が座るのが尻目に見えた。
(へぇ、このオッサン、いつもは眺めているだけなのに、遊ぶんだ~)
そんなことを思いつつ、俺は液晶のケンシロウとバットのアニメーションに見入っていた。
(もしかするとこのオッサン、いつもは台が決められずモタモタしてるけど、今日は客も少なく、俺にあやかって一つ隣りの席に座ったんだなぁ・・・きっとそうに違いない!)
しばらく俺は玉を打ち続けた。オッサンよりも早く大当たりを出して見せつけてやろうと思ったからだ。
ひとつ飛んで隣に座ったオッサンは、50代くらいだろうか?
中肉中背のどこにでもいそうなオッサンだったが、何となく俺はそのオッサンが気になっていた。
たまたまその時ホールの客が少なかったということもあったかもしれない・・・でも今日目があった時、思わず目で会釈してしまうほど自分には到底かなわない何かを持っている、ということを俺は本能的に感じ取っていたようだ。
(だから気になってるのかなぁ・・・?)
そんな思いにふけりながら、ふとオッサンを横目で見ると、何とオッサンは足元に落ちているパチンコ玉を丁寧に1個ずつ拾っては目の前の台に投入しているではないか!
(えぇ・・・ただのケチなオッサン?!)
俺は今しがた考えていたことなど一気に吹っ飛んでしまい、自分の本能とやらをあざ笑う羽目になった。
気を取り直して俺は「北斗」に集中した。
その後、大当たりは出たものの確変には至らず、ドル箱1つを出してはそれをまたつぎ込むものの繰り返しが何度か続く程度で、先月までの負けを取り返すまでには到底至らなかった。
トイレ休憩を兼ねて俺はちょっと台から離れた。
その間に別の台に移動しようかどうかを思案しながら、トイレに向かった。
トイレの扉を開けた途端、俺はハッとなってしまった。
そこには例のオッサンが立って用を足していたのだった。
扉が開いたことで向こうも俺の存在に気付き、お互いに目があったのだ、今日で2回目の。
「どうも・・・」
仕方なく凍えるような小さな声で俺は挨拶代わりの言葉を発した。
オッサンは用を足しながら、少しだけ口元を緩めて
「調子はどうだい?」
と聞いてきた。
その声と言葉にちょっと安心した俺は、
「いぁ、厳しいですねぇ・・・」
と言った。
「ここへはよく来るのかい?」
オッサンは最後の一滴を絞り出すかのように、身体を上下にゆすりながら言った。
「そうですね・・・」
「君は学生さん?」
「はい、そうですけど・・・」
「そっか・・・未来有望な日本の宝だな!」
「えっ、そ、そんなことはないっすけどね、ははっ・・・」
そういいながら俺もオッサンに習って体を上下にゆすっていた。
(今日はなんかキレが悪い・・・)
そう思いながら、最後の一滴を絞り出すと、既に洗面手を洗っているオッサンの隣に俺は移動した。
広くてきれいなトイレに、二人の男が同じ方向に向いて並んで手を洗っている様子が目の前の鏡に映っている。
肉眼で見るオッサンはケチなオッサンだが、鏡に映るオッサンはなぜか得体のしれないオーラを放っているように見えた。
「がんばってな!」
先に手を洗い終えたオッサンが、俺の返事を待たずしてトイレの扉を開けて出て行ってしまった。
台に戻って再び「北斗」を打ち始めた俺に、ようやくツキが回ってきた。
この時を境に、大当たり確変の連チャンが続いたのだ。
(オッサン、福の神だなぁ!)
久しぶりの大当たりを引き出した俺は、小躍りしたい気分になっていた。
というのもここ最近負けっぱなしで、ツキから見放されていたと思っていたのだったが、例のオッサンとのちょっとした会話で流れが変わったように思えた。
それは何とも言葉では表現できない感覚で、オッサンの放つオーラによってもたらされたツキであるということに、疑いようもない確信めいたものを俺は感じていたのだ。
だから再びオッサンに会ったらコーヒーでもご馳走しようと心に決めていたのだが、それ以降オッサンの姿を発見することができなかった。
その日俺は久しぶりの大勝に気をよくしていた。
というのも「蛍の光」が流れている時まで大当たりが続いていたからだ。
(こんなことは久しぶりだなぁ・・・)
店内放送を聞きながらも、時短モードに入った台は相変わらずせわしく動いていた。
ギリギリまで打っているつもりだったが、店員に促されて積み上がったドル箱を集計することになる。
(今日はここまでだな・・・)
久々の大勝に俺はニンマリとして換金所へ足を運んだ。
結局20万近くとなった戦利金は、すっかり暗くなった外の世界とは裏腹に俺の心を明るく照らしてくれた。
(11時20分か・・・)
腕時計を見ながら俺は自分のアパートに帰る前に、食べ損ねた夕食を24時間営業の牛丼屋で済ませようと、駅の方へ歩きはじめた。
見慣れたオレンジ色の看板を目指して歩いていると、向こうから数人の男性が歩いてきたので、俺は反射的に歩道の端へずれた。
ジャケットを羽織った先頭の男の後ろには2人のスーツ姿の男があとからついてくる・・・
明らかに先頭の男が上司で、それに従うスーツの部下という構図が見える。
すれ違いざま、ハッとなった!
(あっ・・えっ・・・!)
暗闇の中、言葉にならない声を上げた俺に、向こうも気付いたようで、街灯から漏れるわずかな灯りで確認できたのだ。
(オッサンだ・・・福の神のオッサンだ!)
「やぁ、君か!」
先頭を歩いていたオッサンが先に声をかけてくれたので、俺はホッとしながら答える。
というのもオッサンの後ろにいるスーツ姿の男二人は、どう見てもオッサンのボディガードのようだったからだ。
「ど、どうも・・・こんばんは・・・」
おかしな受け応えをしたのではないかと、元来の引っ込み思案な性格を呪いながら心配しながらオッサンの顔に目を向けてみた。
オッサンは立ち止まってニッコリとほほ笑んでくれているのがわかる。
「いままで打っていたの?」
「は、はい・・・そ、そうです・・・」
蛇に睨まれたカエルのように、俺は直立不動で返事を返した。
「ほぅ・・・ということは勝ったということかい?」
「まぁ・・・一応・・・」
俺はそう答えながらも、このオッサンとトイレで言葉を交わした直後から大当たりが連続して、閉店のギリギリまで連チャンが続いたことを思い出した。
「そ、そういえば、トイレでお会いしてから、急にツキが回ってきて・・・それで勝てたんです。何って言っていいのか、わかんないっすけど・・・とにかく、ありがとうございました」
照れくささはあったものの、俺なりの感謝の気持ちと礼儀を示したかった。
「えぇ!この私と話したあとで・・・そりゃ光栄だね、そう思ってくれるだけでもうれしいことなのに、こうして言葉で言ってもらうと余計にうれしいねぇ」
「は、はい・・・」
俺よりもちょっと小柄なオッサンだが、こうして話してみると何だか凄いパワーを持っているという気がした。
「こういう出会いを“縁”というのだろなぁ・・・また君とはどこかで会うような気がするなぁ・・・じゃあな!」
そう言い残してオッサンは向きを変えて歩き出して行った。
暗闇の中一人残された俺は、何だかとても清々しい気持ちになっていた。
【変化】
大学3年の時に、それは突如として起きた。
両親が離婚したのだ。
実家には正月に帰省するくらいだったので、詳しい理由はわからない。
まぁ離婚なんて、最近どこの家庭でも起こることなので、そのことに関しては特に何とも感じなかった。
むしろ口うるさい母親から解放されたいと、かねてから寡黙なおやじが思っていたのだろうと推測できた。
しかしそうでもなかったらしい・・・
離婚が成立して間もなく、おやじが自殺したのだ!
俺にとっては寝耳に水であり、何か固いもので不意に頭を殴られたような衝撃を感じた。
口数が少なく、いつも何かを考えているようなおやじは、医者であり医学博士であったことがそう思わせていたのだろうと当時は思っていたが、実は躁うつ病で苦しんでいたということがわかった。
俺は一人泣いた。
そしておやじに懺悔した。
もっといっぱい話をしておけばよかったと後悔した。
その存在が無いという事実が、余計に俺の心を苛め、そして締め付けた。
悔しさと切なさで、俺の涙は止まることを知らなかった・・・
(きっと、きっと、俺のせいで病んだんだ・・・俺が原因だったんだ・・・)
そうとしか考えられなかった。
(おやじは俺に期待している。きっと医学部に行って欲しいに違いない。でも俺はおやじみたいに頭は良くないし、勉強嫌いだから医学部なんてゴメンだ。学費も奨学金で払うし、望み通り難関大学受かってやったのだから、あとは俺の好きにさせてくれ!)
大学に受かった時、そんな気持ちが俺の中に蔓延していた。
一人暮らしを始めたということもあったが、その時を境に俺と親との距離は、物理的な物だけでなく心の距離も開いていったのだ。
それが原因で両親の関係性にも亀裂が入り、離れていった親子の距離とともに夫婦の距離も開き、そして離婚につながっていったのだろう。
俺の心の中には「優しい兄貴がいるんだから弟の俺は自由にしても問題ないだろう」という、そんな傲慢で身勝手な気持ちがあったことは間違いない。
そんな俺を嘆いていたのかもしれない・・・
そんな息子にしてしまった自分を責めていたのかもしれない・・・
それでもおやじは何も言わず、じっと自分の心の中にその感情を押し殺して長い間しまっていたのだろう。
(おやじ・・・)
俺の声が届いているだろうか・・・?
もっと一緒に話したかった、もっと一緒に時間を過ごしたかった・・・
どんなに悔やんでも悔やみきれない感情が、俺の決断を促した。
(強い人間になろう・・・おやじのようになれなくても、おやじに少しでも近づけるよう努力しよう・・・それを望んでいるはずだ・・・)
これまでの勉学といった努力は、どちらかというと「やらされ感」の中で育んできたものだったが、この時初めて自分の意志で努力してみよう、という気持ちに初めてなったのだ。
(おやじの死で自分の人生を真剣に考え始めるなんて、なんて情けない男なんだ!しかもそのおやじを死に追いやった張本人がこの俺だというのに・・・)
弔いの気持ちと、自分を責める気持ちの攻防は、生きた心地がしなかった。
おやじの死以来、俺はパチンコを封印した。
大学の授業を真剣に受け、勉強中心の生活になっていった。
そして一流企業に就職し、そこで出世することを思い描いた。
そんな俺の姿をもしおやじが見てくれたら、きっと喜んでくれるに違いないと思ったからだ。
単位も順調にとれたし、パチンコで貯めた資金や仕送りもあったため、生活に困ることなく一人暮らしが継続できた。
そして就職先の第一希望は、誰もが知っている大手の一流と言われる会社を選び就職活動をしたのだが、その夢は脆くも崩れた。
その後「大手一流企業」に絞って就職活動を続けたものの、ことごとく俺は嫌われた。
何度もそれが続くと、自信が失われるだけでなく、自分自身が世の中に必要ない人間なのだと疑う気持ちも生まれ、自責の念が強まっていく・・・
(俺はおやじのように立派な人間ではないのだろう・・・そもそもおやじに近づくなんて出来るわけないことなんだ・・・)
徐々に塞ぎ込んでいく俺は、大学に入って自分を変えたつもりだったはずなのに、かつての人嫌いが顔をだし、人と会うことが億劫に感じるようになっていた。
もうどうにでもなれ!
投げやりになってようやく内定がもらえた会社は何と人材派遣の会社だった。
(人嫌いの俺が人材派遣の会社に行くなんて、皮肉なもんだ・・・)
とにかく誰でもいいので新卒の学生を「数」で採用しているというのがわかるような会社だったが、結局内定が出たのがこの会社だけであったということと、これ以上面接やら会社説明会が苦しく感じていた俺は、この会社に進むことに決めた。
進路が決まれば普通はその前途に意気揚々とするものなのだろうが、この時の俺にあったのは「どうにでもなれ!」というような投げやりの気持ちであり、先の見えない未来に対する絶望しかなかった。
大学も4年、卒業に必要な単位も充分であることから、一日中部屋から一歩も外に出ないという日々が続いた。
ゲームをしたり漫画を読んだりしても、すぐに飽きてしまう・・・
少しは明るい気持ちになれるだろうと思い、テレビをつけてお笑いを見るが、どうしても腹の底から笑えない。
(うつ病ってこんな感じなのかなぁ・・・)
躁うつ病だったおやじのことを思い浮かべながら、俺はただ時間が過ぎていくことだけを願った。
春になって、大学を卒業し就職すれば新生活がすべてを変えてくれるであろうという、おぼろげな期待だけが、この時の俺の生きる支えだったような気がする。
(冬眠が覚めるまでもう少し・・・)
誰とも会話をすることもなく、一度も声を発しない日を続けながら、俺は時を待った。
まるで春を待つ動植物のように・・・
春になった。
世間一般的な新生活のスタートとは、期待と不安が混じりながらも未来への希望で満ち溢れるものなのだろうが、俺にはその感覚が全く感じられなかった。
大学は卒業したものの、第一志望の大手企業に蹴られて以来、なし崩し的にようやく内定にたどり着いたのが人材派遣会社、しかも入社してみると営業職であったことに、俺は自分の人生を呪った。
契約件数の月間目標をこなすために、朝から晩まで新規営業の外回りをし、いつしか月間目標は月間ノルマとなってのしかかってくる。
入社して最初の1年目はそれでも先輩社員のサポートもあって何とかこなせたものの、2年目となると、今度は自分が新入社員の面倒を見なければならなくなる。
しかし俺にはそんな余裕もなければ、まともな営業成果も出していないことは明白なため、上司からも「お前は新入社員のサポートはしなくていい!その前に自分の給料分ぐらいは稼いで来い!」とみんなの前で怒鳴られる始末だ。
(なんで俺ってこんなに惨めなのだろうか・・・)
その時の俺の気持ちと言えば、辛さや悔しさよりも、自分自身の存在自体がこの世に必要ないのではないかという疑念の方が勝っていたくらいだった。
(俺の人生に意味はあるのだろうか?俺の生まれてきた役割ってあるのだろうか?)
社内の俺に対する風当たりは日増しに強くなって行った。
それもそのはずで、自分よりも後から入社した社員に営業成績で完全に抜かれ、焦って目ぼしい客先を回っても、爪先立った俺を見て誰も契約などしてくれず「疫病神」の如く追い返される毎日だった。
大学に入学して克服したと思った人付き合いの苦手意識も再燃し、昔以上に人嫌いとなっていく自分が手に取るようにわかる。
組織に馴染めず、営業成績も上がらず、出社することさえ苦痛に感じるようになって行った俺についたあだ名が「給料泥棒」だった。
「自分の喰いっぷち分さえの仕事もこなせない人間は、もはや給料泥棒としか言いようがない!」
面と向かって強い口調で怒鳴るようには決して言わず、静かに、それとなく周囲に聞こえるような感じのトーンで無機質に言葉を発する上司に、吐き気を感じた。
そして20代半ばにして人生の目的を見失い、絶望に苛まれた。
それでも3年、その会社には籍を置いた。
いや3年もの期間、辛抱できた。
しかしそれがもう限界だった・・・
これ以上ここにいることで、その力で押しつぶされるか、自分の内側から破裂するか、どちらが先かというところにまで来ていた。
俺は会社を辞めた。
誰も引き留めやしないし、そんなことは分かっていたので、悲しくも辛くもなかった。
当然送別会や慰労会などしてくれるはずもなく、最後の日、一番隅に追いやられていた自分の席を片付けているとスマホにメールの着信を示す振動があった。
覗いてみると(今日、この後一緒に飯でも食いに行こうぜ!時間作ってくれよな!)と書いてあった。
贈り主は前田だった。
前田律太、10人以上もいる同期入社の内の一人だ。
彼はなかなか営業成績も良く、あっけらかんとした持ち前の明るさで、俺とは対照的な人間だったが、多くの社員が俺を見下していたにも関わらず、前田だけはちょこちょこと俺に声をかけてくれた。
それに対して人見知りで塞ぎがちであった俺は、ろくな言葉も返せず、どこかで彼に対しての申し訳なさを感じていた。
(わかった・・・)
俺は短く返事を打つと、すぐさま彼からの返信があり、以前何度か行ったことがある駅前の大衆居酒屋「かつら亭」で7時に合流しようということになった。
誰からも誘われず、声も掛けてもらえないことなど平気だと思っていたが、この時だけは俺の中から喜びが湧きあがってくるのがわかってうれしかった。
他人から、一人の人間として扱ってもらえている・・・
そんな気持ちが俺を少しだけ幸せな気分に浸らせてくれたのだ。
指定された居酒屋に行くと、受付で既に前田が予約を入れておいてくれたことが分かった。
カウンター席に通されて周りを見ると、間もなく7時のこの時間、既にあちらこちらで宴会が始まっている。
5分ほど待っていると前田が勢いよく店に入ってきた。
前田の身長は175センチ、体重は60キロといったところか。
数字には強く、記憶力にも比較的自信のある俺だったが、そんなことよりも営業能力が高い方が現実社会では認めてもらえるのだなぁ・・・と思考を巡らせた。
「すまん、すまん・・・営業報告書に手間取っちゃってさぁ・・わりぃな・・・」
前田は俺が退社するということを思い出したのか、最後は声のトーンをかなり落とした。
俺は言葉を発せず、ただニコニコとしながら隣のカウンター席の椅子を引いて、前田に座るように促すことで「大丈夫さ」という心の返事をした。
軽くうなずき彼はそそくさと俺の隣に腰を掛ける。
ビールで乾杯し、しばらく沈黙が続いた。
でもその沈黙も俺には心地よく感じた。
(なぜだろう・・・前田の隣にいるとしっくりくるし、落ち着く・・・)
そんなことを感じていると、正面を見つめながら徐に前田が口を切った。
「サラリーマンがすべてじゃないし、いろいろやってみないとわかんねぇしなぁ・・・自分が何に向いているかってことは・・・」
「・・・」
無言のまま俺はビールを口に運ぶ。
「おれ、最近思うんだよなぁ、このままこの会社にいて定年まで勤め上げるのだろうかって。想像もつかねぇし、それを真剣に考えるとゾッとするときがあるんだ」
「仕事の出来るお前が?」
「そうだよ・・・だって考えてもみろよ、たまたまこの会社に入ったから言われるがまま仕事をしているだけであって、俺は昔から人材派遣会社に勤務することが夢だったわけじゃねぇぞ!そんなやついるわけがないだろう」
「まぁ、確かに・・・」
「安定を求めてつまらない人生を送るか、リスクがあっても冒険を求めて最高の人生を送るか・・・それを最近いつも考えているんだ」
「そっか・・・」
つれない返事しかできない自分を俺はちょっと惨めに思った。
「でも川上が辞めるって聞いて、俺ちょっと背中を押されたような気がするんだ。だって人生の主役って自分であって会社じゃねぇだろう、お前は会社を辞めることで俺にそれを教えてくれたんだよ」
「・・・」
うつむいたまま俺は宙を見つめていた。
隣りの前田もカウンターに両肘をつきながら正面に顔を向けたままだ。
「俺も辞めよっかなぁ・・・」
「えっ・・・」
絶句して唾を飲みこんだ。
「まぁすぐにではないけどな・・・でも俺はこの会社に入っていなければお前と出会うことはなかったし、そういう意味ではこの会社に感謝しているけど、自分の人生を考えた時、この会社が俺の舞台ではないような気もするんだ」
なぜかこの時、俺の中からこみあげてくるものがあった。
自分でも理解できない感情だ。
でも明らかにそれは存在する。
会社勤め最後の日になって、初めて前田を近くに感じ、そして彼の気持ちを感じることが出来た。
この後、前田は俺にとって大切な親友となっていくのだ。
そして俺とともに成長していくこととなる・・・